ょねん》の旱害《かんがい》はいちばんよかった所《ところ》でもこんな工合《ぐあい》だったのだ。けれども陸羽《りくう》一三二|号《ごう》のほうは三|割《わり》ぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水|選《せん》をかけたので恰度《ちょうど》六|斗《と》あったから本田の一町一|反《たん》分には充分《じゅうぶん》だろう。とにかく僕《ぼく》は今日半日で大丈夫《だいじょうぶ》五十円の仕事《しごと》はした訳《わけ》だ。
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当《たんあたり》二|石《こく》そこそこしかとっていなかったのを今度《こんど》はあちこちの農事試験場《のうじしけんじょう》の発表《はっぴょう》のように一割の二斗ずつの増収《ぞうしゅう》としても一町一反では二石二斗になるのだ。みんなにもほんとうにいいということが判《わか》るようになったら、ぼくは同じ塩水で長根《ちょうこん》ぜんたいのをやるようにしよう。一|軒《けん》のうちで三十円ずつ得《とく》してもこの部落全体《ぶらくぜんたい》では四百五十円になる。それが五、六人ただ半日の仕事《しごと》なのだ。塩水選をする間は父はそこらの冬の間のごみを集《あつ》めて焼《や》いた。籾《もみ》ができると父は細長《ほそなが》くきれいに藁《わら》を通して編《あ》んだ俵《たわら》につめて中へつめた。あれは合理的《ごうりてき》だと思う。湧水《わきみず》がないので、あのつつみへ漬《つ》けた。氷《こおり》がまだどての陰《かげ》には浮いているからちょうど摂氏零度《せっしれいど》ぐらいだろう。十二月にどてのひびを埋《う》めてから水は六分目までたまっていた。今年こそきっといいのだ。あんなひどい旱魃《かんばつ》が二年|続《つづ》いたことさえいままでの気象《きしょう》の統計《とうけい》にはなかったというくらいだもの、どんな偶然《ぐうぜん》が集《あつま》ったって今年まで続くなんてことはないはずだ。気候《きこう》さえあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害《そんがい》を恢復《かいふく》してみせる。そして来年《らいねん》からはもううちの経済《けいざい》も楽にするし長根ぜんたいまできっと生々《いきいき》した愉快《ゆかい》なものにしてみせる。
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一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午《しょ
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