或る農学生の日誌
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)農《のう》学校
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|学期《がっき》
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序
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ぼくは農《のう》学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌《にっし》を公開《こうかい》する。どうせぼくは字も文章《ぶんしょう》も下手《へた》だ。ぼくと同じように本気に仕事《しごと》にかかった人でなかったらこんなもの実《じつ》に厭《いや》な面白《おもしろ》くもないものにちがいない。いまぼくが読み返《かえ》してみてさえ実に意気地《いくじ》なく野蛮《やばん》なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方《しかた》ない。ぼくらは空想《くうそう》でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂《いわゆる》田舎臭《いなかくさ》いものに変《かわ》ってしまう。
ぼくはひがんで云《い》うのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽《けい》べつする人がきっと沢山《たくさん》あるだろう。そんなやつをぼくは叩《たた》きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬《ねた》むことしかできないやつらはいちばん卑怯《ひきょう》なものだと思う。ぼくのように働《はたら》いている仲間《なかま》よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界《せかい》から無《な》くしてしまおうでないか。
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一九二五、四月一日 火曜日 晴
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今日から新らしい一|学期《がっき》だ。けれども学校へ行っても何だか張合《はりあ》いがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居《い》ない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶《あいさつ》を待《ま》ってそっと横眼《よこめ》で威張《いば》っている卑怯《ひき
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