はその場所《ばしょ》では誰《だれ》のもいいとも悪《わる》いとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩《かこうがん》だの三|紀《き》の泥岩《でいがん》だのまではいった込《こ》んだ地質《ちしつ》や土性のところを教わってあるいた。図は次《つぎ》の月曜までに清書《せいしょ》して出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生に直《なお》してもらったら次の日曜に高橋君《たかはしくん》を頼《たの》んで僕のうちの近所《きんじょ》のをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪積《こうせき》と沖積《ちゅうせき》があるきりだしずっと簡単《かんたん》だ。それでも肥料《ひりょう》の入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反対《はんたい》にやってるんでないかと思う。
[#ここで字下げ終わり]


一九二五、十一月十日。
[#ここから1字下げ]
今日|実習《じっしゅう》が済《す》んでから農舎《のうしゃ》の前に立ってグラジオラスの球根《きゅうこん》の旱《ほ》してあるのを見ていたら武田《たけだ》先生も鶏小屋《にわとりごや》の消毒《しょうどく》だか済んで硫黄華《いおうか》をずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見ていられたがそこから大きなのを三つばかり取《と》って僕に呉《く》れた。僕がもじもじしているとこれは新らしい高価《たか》い種類《しゅるい》だよ。君《きみ》にだけやるから来春|植《う》えてみたまえと云った。すると農場の方から花の係《かか》りの内藤《ないとう》先生が来たら武田先生は大へんあわててポケットへしまっておきたまえ、と云った。ぼくは変《へん》な気がしたけれども仕方《しかた》なくポケットへ入れた。すると武田先生は急《いそ》いで農舎の中へはいって農具《のうぐ》だか何だか整理《せいり》し出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行ってからそっと球根をむしろの中へ返《かえ》して、急いで校舎へ入って実習|服《ふく》を着換《きが》えてうちに帰った。
[#ここで字下げ終わり]


一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、
[#ここから1字下げ]
塩水撰《えんすいせん》をやった。うちのが済《す》んでから楢戸《ならど》のもやった。
本にある通りの比重《ひじゅう》でやったら亀《かめ》の尾《お》は半分も残《のこ》らなかった。去年《き
前へ 次へ
全16ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング