察図《よさつず》にして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっ[#「ばっ」に「(ママ)」の注記]ていない。猿ヶ石《さるがいし》川の南の平地《ひらち》に十時半ころまでにできた。それからは洪積層《こうせきそう》が旧天王《キーデンノー》の安山集塊岩《あんざんしゅうかいがん》の丘《おか》つづきのにも被《かぶ》さっているかがいちばんの疑問《ぎもん》だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭《ろとう》を丘の頂部《ちょうぶ》近くで見附《みつ》けた。結局《けっきょく》洪積|紀《き》は地形図の百四十|米《メートル》の線|以下《いか》という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木の育《そだ》ち工合《ぐあい》や何かを参照《さんしょう》して決《き》めた。ぼくは土性の調査よりも地質《ちしつ》の方が面白《おもしろ》い。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色で取《と》っていくだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考えがなかなかうまくあたるのだから。
ぼくらは松林《まつばやし》の中だの萱《かや》の中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉子《きじ》も飛《と》んだ。
耕地整理《こうちせいり》になっているところがやっぱり旱害《かんがい》で稲《いね》は殆《ほと》んど仕付《しつ》からなかったらしく赤いみじかい雑草《ざっそう》が生《は》えておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かった所《ところ》も少しも分蘖《ぶんけつ》せず赤くなって実《み》のはいらない稲がそのまま刈《か》りとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなの為《ため》にしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土性《どせい》もすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将来《しょうらい》は反当《たんあたり》三|石《ごく》まではとれるようにできると思う。

午后《ごご》一時に約束《やくそく》の通り各班《かくはん》が猿ヶ石《さるがいし》川の岸《きし》にあるきれいな安山集塊岩《あんざんしゅうかいがん》の露出《ろしゅつ》のところに集《あつま》った。どこからか小梨《こなし》を貰《もら》ったと云《い》って先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗《ぬ》りなおしたりした。先生
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