うご》から七時まで番水《ばんすい》があたったので樋番《といばん》をした。何せ去年《きょねん》からの巨《おお》きなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰掛《こしか》けてこぼこぼはっていく温《あたたか》い水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくが稲《いね》になったような気がした。そしてぼくが桃《もも》いろをした熱病《ねつびょう》にかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸《す》いあげているのだった。どきっとして眼《め》をさました。水がこぼこぼ裂目《さけめ》のところで泡《あわ》を吹《ふ》きながらインクのようにゆっくりゆっくりひろがっていったのだ。
 水が来なくなって下田の代掻《しろかき》ができなくなってから今日で恰度《ちょうど》十二日雨が降《ふ》らない。いったいそらがどう変《かわ》ったのだろう。あんな旱魃《かんばつ》の二年|続《つづ》いた記録《きろく》が無《な》いと測候所《そっこうじょ》が云《い》ったのにこれで三年続くわけでないか。大堰《おおぜき》の水もまるで四|寸《すん》ぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。
 三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下の岐《わか》れまで行ってみたら権十《ごんじゅう》がこっちをとめてじぶんの方へ向《む》けていた。ぼくはまるで権十が甘藍《かんらん》の夜盗虫《よとうむし》みたいな気がした。顔がむくむく膨《ふく》れていて、おまけにあんな冠《かぶ》らなくてもいいような穴《あな》のあいたつばの下った土方《どかた》しゃっぽをかぶってその上からまた頬《ほお》かぶりをしているのだ。
 手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なんだ、農《のう》学校|終《おわ》ったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それを盗《ぬす》んで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。
 けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向け直《なお》した。やっぱり権十はぼくを子供《こども》だと思ってぼくだけ居《い》たものだからあんなことを
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