けて行くだけ一語も云ふものがありませんでした。倒れた子はしばらくもだえてゐましたがそれでもいつかさっきの足の痛みなどは忘れたやうに又よろよろと立ちあがるのでした。
一郎はもう行くにも戻るにも立ちすくんでしまひました。俄《には》かに楢夫が眼を開いて
「お父さん。」と高く叫んで泣き出しました。すると丁度下を通りかかった一人のその恐ろしいものはそのゆがんだ赤い眼をこっちに向けました。一郎は息もつまるやうに思ひました。恐ろしいものはむちをあげて下から叫びました。
「そこらで何をしてるんだ。下りて来い。」
一郎はまるでその赤い眼に吸ひ込まれるやうな気がしてよろよろ二三歩そっちへ行きましたがやっとふみとまってしっかり楢夫を抱きました。その恐ろしいものは頬《ほほ》をぴくぴく動かし歯をむき出して咆《ほ》えるやうに叫んで一郎の方に登って来ました。そしていつか一郎と楢夫とはつかまれて列の中に入ってゐたのです。ことに一郎のかなしかったことはどうしたのか楢夫が歩けるやうになってはだしでその痛い地面をふんで一郎の前をよろよろ歩いてゐることでした。一郎はみんなと一緒に追はれてあるきながら何べんも楢夫の名を低く
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