たのです。
「アッ。」という人の声が聞えただけ、蟹はあとはどうなったか知りません。ただ自分の体が水にザブンと音を立てて入っただけ、そしてその次には深く深く沈んで行く自分の足が、何やらふわふわと柔かいものにさわり、それから又ぐんぐん元来た方へ引き戻されたことだけをおぼえています。本当に気がついたときには、狭い暗い箱の中におりました。椰子の樹から海へ落ちたところを、すぐ網で掬《すく》い上げられたのでした。
四
蟹《かに》はこうして箱のまま汽船の甲板《かんぱん》に積み込まれ、時々|汐《しお》につけられ、時々|蓋《ふた》を少しあけては古臭いコプラを喰べさされました。そこには夜もなく、昼もありません。いつも真暗《まっくら》で、いつも変な臭《にお》いがして、そうぞうしい音や、人の声がしております。蟹は日本から来た学者たちに生きた標本として、捕《とら》われたのでした。けれども自分ではそんなことは知りません。ただいつもいつも窮屈な思いばかりしておりました。けれども一番困ったのは暗いのよりも臭いのよりも、そうぞうしいのよりも、寒くなって来ることでした。が、暑いところで生れ、熱いとこ
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