父《おやじ》があの様子ゆえ。外へも出られない始末だから。おもうようにはいかないのサ。二三日跡からめっきり様子がいいから。今日お誘い申したのサ。
宮崎「御洋行中は毎度御書を下さいましたが。例の筆無性《ふでぶしょう》で三度に一度の御返事もあげませんでしたが。僕が東京の現況を新聞体にて御報道致した御返事に。日本人はメスメリズムにばかされた人のように。西洋人の指先次第。いろいろなまねをするとの御論でしたが。伺っていた御持論とは大層ちがいました。世の人は洋行すると西洋好きになるが。君には嫌《きら》いになったのかと。お知己の人たちは怪しみました。
篠原「なるほどお怪しみもござりましょう。僕が五年の洋行で得るところ。とはちと大げさのようだが。マアそこのところばかりサ。オオなんだ氷が解けてもう残りずくなになった。マア一杯やりたまえ。オイ船頭どこへか附けて氷を二斤ばかり買ってくれんか。
宮崎「ときに篠原君。君が帰朝の後は早速何のお咄しだろう。ネー斎藤君。御同前に祝筵《しゅくえん》にあずかろうとたのしみにしているのだが。尊大人の御所労でまだそこどこではないのかネ。
斎藤「実に君はあやかりものだ。尊大人は従前の勲功とはいいながら。華族に列せらるるし。レディは才色兼備の上に。近ごろは英語もお出来なさるし。ピヤノなどはことにお得意。ダンシングから何から。貴女連中との交際でも恥かしくない。実に君とは連璧《れんぺき》だ。と朋友中の評判ですぜ。
篠原「そういえばそうかもしれないが。僕は何分にも面白くないから。婚姻のところはどうしようかと思っているのサ。これも両君のことだから。僕のシクレットを打《ぶ》ちまけていうのだが。ごぞんじの通り僕は五ツ六ツの歳からそだてられて。両親もあれにめあわせて家をゆずろうという志願なればこそ。大金をも出して欧州留学もさせてくれたわけだから。今さら台女《だいじょ》を嫌っては。内に顧みてはなはだ道徳に恥ずるわけサ。そうしてあの家を出れば。今までの恩を無にするわけと。いろいろ考えて見ると。実は岐路《きろ》に彷徨《ほうこう》しておるようなわけで。婚儀のことは親父の病気を幸いにずるずるとのばしているようなわけで。
斎藤「これは意外なことです。洋行して君の議論はよっぽどかわったが。シテ見ると議論ばかりじゃアありませんネ。人もうらやましがる縁辺を。なんのかんのとはがてんがいかない。アーよめた。西洋はきらいになったぞといって。実は何ですネ。この節の流行のゴオールデンヘヤの令嬢と契約したというようなわけで。今にそれがやって来るという……。
篠原「とんでもない御嫌疑《ごけんぎ》だ。実に何にもありはしないが。ツマリいやになったというわけは。一生苦楽をともにしようという目的がたたないからサ。しかし君たちのいうのもうそでない。なるほど僕の心事は一変した。欧州に遊歴して見ると。なかなかここで想像して書籍中にもとめたとは。大いにちがったところがある。実に豁然《かつぜん》通悟したところがあって。なんでも人間は道徳が大事だということにきがついた。
斎「ハテネそうして。
篠「ところが帰朝してみると。親父が例の洋癖家だろう。またそれに仕こまれたものだから。やれ今では巴里《ぱり》ではどんなかみの風が流行《はやる》の。どんな服製がはやるのと。そんなことばかり聞きたがるのサ。僕は西洋の学問と芸術には感心するが。風俗には決して心酔はしない。男女だかれあって蹈舞《とうぶ》するなんどは。あまりみともいいことでもない。それに少男少女のいまだ婚姻しないものなら。婚姻の手段の一端にて。支那《しな》にいわゆる|仲春会[#二]男女[#一]《ちゅうしゅんなんにょをかいす》という工合もあろう。それでもマア淫風《いんぷう》ならずとはいいにくい。野蛮風俗の居残りサネ。その上夫ある婦人は。その夫と蹈舞することを許さないというのはなぜだろう。千代《ちよ》をちぎって一身も同じとまでいう夫婦だから。夫婦|同士《どし》だきついておどってこそ。面白くも楽しくもありそうなものなのに。ぜひ他人とおどらなければならないというのは。その極点をいって見たらどうだろう。まおとこをしなければつまらない。という論理になるではないか。コセットで胸をつかね衛生にかかわらず。ひとえに俗眼の好むところにしたがうなども。支那で足をしばって小さくすると五十歩百歩の論サ。こんなことをいいたてればいくらもあるサ。そこで僕は西洋の風俗には感心しない。この間も親父の看病をしながら。とかくに西洋風俗のはなしがでるから。われしらず道徳論をかつぎだして。蹈舞のことなどをこなしたところが。親父はそこらが交際のごく親密なところでよいではないかというから。病人に逆らうのも。とだまっていたが。兄さんは洋行した甲斐もなく。やっぱり支那風の七歳|男女不[#レ]同[#レ]席《なんにょせきをおなじゅうせず》という腐れ論をおっしゃるヨ。フーンと鼻で笑われたが。そのフーンが骨身に透《とお》ってぞっとした心持がして。それから急にいやになったのだが。親父には義理も恩もあるから。いやだっていやともいえないし。実に胸を痛めているのサ。
斎「それだっても世間での評判に。あの娘ならどんな官員のマダームといっておしだしても。交際ができるというくらい。そんな短気は……。
篠「斎藤君のいうことだが。僕はその官員が嫌いになった。官員になったとって。社会にどれほどの利益を与えることができると思いたまう。僕は話聖東《わしんとん》よりもフランクリン[#「フランクリン」に傍線]を景慕するヨ。フランクリン[#「フランクリン」に傍線]も官員でないとはいえないが。話聖東がボストンに義旗を翻がえし。三十余州を一致し。亜米利加《あめりか》に連邦を創立し。今は欧州各国と比肩して恥じざる国とまでにしたのは。えらいことはえらいけれども。ただ一ツの国がごうぎに強くなったというまでで。すこしも世界に利益を与えない。フランクリン[#「フランクリン」に傍線]は電気を発明して。それから電信機も出来。電気燈も出来。世界幾百の邦土。幾億の民生がみんなその利によることとは。またえらいことではないか。現今の世の中でも。ビスマーク[#「ビスマーク」に傍線]よりはレセップ[#「レセップ」に傍線]に指を屈します。ビスマーク[#「ビスマーク」に傍線]は仏蘭西《ふらんす》の鼻を折《くじ》いて。わが国の索漏生《ふろいせん》王をして日耳曼《ぜるまん》一統の帝とし。今では欧州で牛耳を執るというまでにて。よそほかの国にはなんの利益もない。レセップ[#「レセップ」に傍線]はそうではない。シュエスのカナールを掘り割りて。世界万国交通の便を開いたはどうでしょう。このうえはパナマの掘割まで出来ようとするは。実にえらいじゃアないか。北亜米利加合衆国が出来なかったとて。わが日本などは何の不自由も何もなかろう。電信機がなかったらソラどんなに不便だろう。日耳曼が帝国にならないとて。日本では屁でもないが。シュエスの掘割がなかったら。交通貿易にもどのくらいの不利を感じるかしれん。日本ばかりではない。どこでもそうにちがいない。だから僕は官員になっての功名は。たかがしれたことと悟って。なんでもフランクリン[#「フランクリン」に傍線]やレセップ[#「レセップ」に傍線]にならおうとおもう。
宮「ヒヤヒヤもっとも賛成だ。
篠「それだから交際上手の女房などは。すこしも望まんのサ。僕が好みの女房は。まんざら文盲でも困るが。婦人の美徳と称する従順の徳があって。少しく文字も読め斉家《せいか》の道に勉力してもらいたい。弾《は》ねた性質に世界の酸素を交ぜて。おてんばという化合物になったのなんざア好まない。いわば蹈舞の上手より毛糸あみの手内職をして。僕が活計を助けるというようなのがほしい。
斎宮「ナニ僕の活計だと。華族様などはとかくけちなことをいいたがるものだ。アハハハハ。
一同笑いになりたるとき。
船頭「八百松屋《やおまつや》アー。
桟橋《さんばし》に茶やの女の下駄の音カラコロカラコロ。
女「おはようござりました。
第九回
篠原勤は英国ケンブリジの学校に螢雪《けいせつ》の功を積み。ついに技芸士の称号を得。なお帰途《みちすがら》欧州各国に歴遊し。五カ年の星霜を経てようやく帰朝せしに。養父は思いがけなく華族に列せられ。家の面目この上もなき重ね重ねのめでたさに。何不足なき身ながらも。かねてより結婚の約束ある。浜子のそぶりに何となく心がかりのこと多く。かなたにもとかくにうしろめだき風情ありておのれをはばかるさまあるは。何ようのことわけのありてかと。心をつけし折も折。ゆくりなく耳に入りし馬丁《べっとう》車夫の噂咄《うわさばな》し。胸とどろくまで驚かれ。さてはと心づきたるに。なおさまざまのこと耳目に触れて疑いの種を生長《おいたた》しむるのみか。浜子は父の病の見とりもせで。とかくに外出《そとで》がちなるなどますます心にかなわざれば、いよいよ離縁して身を退くべしとその志を決しつつ。二三の親しき朋友には。その思うふしをそれとなく洩《も》らしたるほどなれど。さすがに幼少の時よりして、ともにそだちし筒井筒《つついづつ》。かたすぐるまでくらべこし。緑の黒髪花の顔。姿かたちもうるわしく。学問才知も人並みには立ちまさりたる浜子なれば。今さら棄《す》つるに忍びかねて。色好むとにはあらねども。拾わぬ先の珠としも思いきられず。また二つには幼少よりそだてられたる養父母の恩愛と義理にそむきがたく。独り心を苦しめしが。今は養父の大病にて。見とりにその身いとまなければ。それなりにして打ち過ぎしに。通方《みちかた》は世に国手とよばれたるくすしのみか。独逸《どいつ》国より来朝せるベルツ[#「ベルツ」に傍線]博士にまで診察を請い。療治に愚かなかりしかど。いささか見直すところありとみしは。いわゆる返照《なかなおり》というものなりしが。勤が納涼よりかえりし宵《よ》よりにわかに容子変りきて。その翌日かえらぬ旅に赴《おもむ》きぬ。勤らのなげきはさらなり。よき人をうしないたりとて。惜しまぬ人はなかりしとぞ。されど勤はその跡を相続せしが。忌みもはてなば浜子と婚姻の式をあげさせんと。母をはじめ親戚《しんせき》朋友のかれこれといいすすむるに。勤は余義なくてありし次第を打ちあけて述べたるに。もとよりあらぬ濡衣《ぬれぎぬ》にもあらざれば。誰もしからんにはとの答えのみなれば。勤は養父が鞠育《きくいく》の恩義を忘れず。すでに華族の爵を継ぐ上は。世襲財産だけ譲り受くべきも。余の遺産は残らず浜子に渡し。心にかないたる中なればとて。さりぬべき媒《なかだち》をたのみて山中|正《まさし》に嫁《とつ》がせしめ。家に仕えし老僕|某《なにがし》を始め下女など数多《あまた》付き添わせ。近き渡りにしかるべき家屋ありしを求めて。これに住居させ。残るところなく世話をせしかば。人みなその処置のよろしきを得しをたたえしとなん。正は浜子をめとりてにわかに分限となりし心地はしたれど。入婿子《いりむこ》同じことにて。浜子は主人のごとくなれば。その才とその色とに不足あるにはあらねど。いままで食客にてありしを。かえりて気楽なりとおもうところもありぬべし。
女「ゆうべのおはなしで。すっぱりおまえさんの気もしれたから。今じゃアヤットおちついたがネ。婆アさんにあきがきて。かしをかえてしまったのかと。どんなにきをもんだかしりゃアしないヨ。
男「そうだろう。一体あすこの親指の口入れで官途にもありついたし。万端ひいきになるもんだから。お鬚の塵をはらっていて損のないとおもうとこから。せいいっぱい勤めていた内。あいつに英語を教えてやれということで……。マアなんだったのだが。これも御機嫌を損じてはと……。
女「イイヨたくさんだヨ。
男「そう咄しの腰をおるからいけない。それでとうとうこんだのやくそくも出来て。にわかに大尽になるようになるはなしだけれど。向《さき》はどうだかしらないが。
女「イイヨうるさい。
男「こっちには気にそまないだが。それ夕べも咄した通りのわけで。この一幕がか
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