ら以前の斎藤。相沢を追いかけてバタバタ走り来たり。
相沢「アアくるしいくるしい。
宮「どう遊ばして。
相「あの斎藤さんにスナッチされようとしたわ。あのお芋をネ。西村さんにもらってたべていたら。斎藤さんが来てとろうとするのだもの。いやな人ヨ。
斎「ダカラ私しがカステイラを御馳走《ごちそう》をして上げようから。とっかえこにしようといったのだワ。
相「オヤ斎藤さんがほんとのことをいったの。ここにカステイラがあるワ。じゃアこれを上げよう。
宮「ああら現金もんだこと。
相「だってサブスタンスを見ないでは。斎藤さんはライヤアだから。
斎「うそ。人を罵詈《ばり》してひどいこと。
宮「マアそんなことは閑話休題として。こちらへいらしってめしあがれヨー。
 女生徒らはたがいにむしゃくしゃたべながら。
相「オヤオヤもうなくなりそうだ。
斎「ナニよくってヨ。あしたは服部さんはお帰りなさるのだもの。なくなったってイイワ。
服「エエいくらでも召し上れ。私はあしたのレッソンのところを少しみておきとうござりますから。失礼ヨ。
相「およし遊ばせヨ。お休みになるのだから。みておかないでもいいじゃアありませんか。
宮「ホントニ服部さんのように勉強しては。体がつづかないでしょうネー。
斎「あたしなんざア。お休みするところは見たこともないワ。
相「だから試験前は大変に心配して。この間も二時ぐらいまでおきていて。そうしてあんな低い点ですもの。いやになっちまったワ。
宮「オヤオヤえらいことネー。
服「ですけれども。大変にお体にはお毒ですネー。女生徒は男生徒より大気《たいき》でないせえか。あんまりなまけませんてネ。ですからそんなに勉強を勧めてさせないでも。自分自身に相応に勉強して行きますとサ。でもこのごろは大変に女に学問をさせるのが一問題でござりますと。あんまり相沢さんのように。過度に勉強遊ばすと精神がよわって。よわい子が出来るそうです。
相「アラいやなこったワ。だれがお嫁なんかに行くもんか。
宮「あんなことをおっしゃるヨ。先生になってもお嫁に行く方がいいって。
相「ナニ先生になれば男なんかにひざを屈して。仕《つこ》うまつッてはいないわネー。
服「ですからこのごろは学者たちが。女には学問をさせないで。皆な無学文盲にしてしまった方がよかろうという説がありますとサ。少し女は学問があると先生になり。殿様は持たぬといいますから。人民が繁殖しませんから。愛国心がないのですとサ。明治五六年ごろには。女の風俗が大そうわるくなって。肩をいからしてあるいたり。まち高袴《たかばかま》をはいたり。何か口で生いきな慷慨《こうがい》なことをいって。誠にわるい風だそうでしたが。このごろ大分直ってきたと思うと。また西洋では女をたっとぶとか何とかいうことをきいて。少し跡もどりになりそうだということですから。今の女生徒は大責任があるのでござりますと。あのセクスピア[#「セクスピア」に傍線]が顔の皮の厚い女は。男の女らしいのと同じことで。好ましくないものだと申しましたし。また第一ナポレオン[#「ナポレオン」に傍線]は。仏国を改良するには善良の母だと申しました。だから女にもしも学問をさせなければ。なかなか善良の母も出来ますまいし。学問をさせれば。厚顔《あつかお》なおしのつよい女が出来ますから。何でも一つの専門をさだめて。それをよく勉強して。人にたかぶり生いきの出ないようにして。温順な女徳をそんじないようにしなければいけません。そうすれば子孫も才子才女が出来て。文明各国に恥じない新世界が出来ましょうと。ある方がおっしゃいました。
斎「アアいやだワいやだワ。あたしはそんなことを聞くと。ほんとにいやになってしまアー。一生懸命で学問しても。奥様になりゃア仕事をしたり。めんどくさくっていやだワ。わたしゃア独立して美術家になるわ。画かきになるワ。美術の内で。歌舞音曲その他一二を除いて。源は皆な画ですとサ。だから画は美術の King。オヤ。フェミニンの方かしらん。じゃア Queen だワ……。あたしはきっときっと画かきになるワ。
相「オヤ斎藤さんが画工《えかき》になるって。こんなめんどくさがりのくせにネ。
服「斎藤さんだとて一心一到ですもの。画かきになれますワ。
相「オヤオヤ。じゃアあたしも一心一到だから。この間理科で高点をとったから。それを規模にして理学者になろうか。あなたハ。
宮「私しはこの学校を卒業すれば奥様になるワ。お浪さんあなたもそうでしょう。
服「ソウネー。私しは文学が好きですから。文学士か何かのところへいって。御夫婦ともかせぎにするワ。
斎「オヤお仲のよいこと。あたしは亭主なんぞは。ほんとにほんとにもちたくないワ。
宮「じゃアお浪さんは。うちの兄さんのところへお嫁にいらっしゃるといいこと。そうだと嬉《うれ》しいけれど。
相斎「ほんとだワ」とまだあどけなき娘気の。人の心を計りかね。思わずいえばもろともに。いいはやされて今さらに。よしなきことをいいけりと。咄の絶ゆる折しもあれ。
 カチカチカチ。オヤお昼飯《ひる》の柝《たく》でしょう。サア行きましょう。(かけだす音)バタバタバタ

     第七回

 二人|曳《び》きの車は朝夕に出入りて。風月堂の菓子折。肴籠《さかなかご》などもて来たる書生体のもの車夫など。門前にひきもきらず。これは篠原子爵の邸なれど。このほどより主はよほどの重体にて。某《なにがし》とよばるるドクトルも小首をかたむくるほどなれば。家中《やうち》の混雑一方ならず。このごろ養子|勤《つとむ》が帰朝以来。「こう忙がしくってはたまらん」など。取次ぎの書生の苦情もかしまし。今日しも少しよきようなれば。と上下《かみしも》ともに心安うおぼえて。いつしかにおさんの笑い声も耳だつほどとなりぬ。
 山中はいつものごとく御看病と称《とな》えて。なにか浜子のへやにてしきりに咄しさい中なり。勤は帰朝以来何か感ずるところありて。懊悩《おうのう》として心楽しまず。机に向えばただただ神経の作用のみはげしくなりて。ますます思い乱るる妄想《もうぞう》をやるにところなし。散歩は至極適当の療治法なりと思えど。養父の病気中には傍《はた》の思わくもあれば。ほしいままに外《と》に出《い》づべくもあらず。さるほどに浜子の部屋または勝手などに折々聞ゆる笑い声も。なかなかにかんしゃく玉の発裂《はれつ》するもととなり。ともすれば天井と睨《にら》めくらをして。にがりに苦りて言葉なし。アアこの神経というものはおそろしきものなり。折にふれては鬼神|妖怪《ようかい》の眼《ま》の当りにおそいきたるかとみれば。いつしか嬋娟《せんけん》たるたおやめの側《かたわら》に立つかと思うなど。千変万化さまざまにうつり行く。げに物思う折の現《うつつ》はまた一場の夢なりかし。ややありてすこし夢のさめしようなる風情にて。あくび二ツ三ツして。やおら立ちあがりて障子を明け。庭へ出でて花壇のまわりを三べんばかりあてどもなくあるきながら。わざと浜子の部屋のあたりをさけて。おもての方へおもむろにあゆみきたれば。馬丁《べっとう》部屋の方にあたりて。ささやきかたらう声笑う声聞えけり。下ざまのことになれざる耳には。いとめずらしくおぼえられてや。やおら立ちよりて聞かんとすれば。主の足音をしりてかけ来たる大いなる猟犬の。媚《こび》をささげて足元にまつわるを眼もて制し。小腰をかがめてそが頭《かしら》をかいなでつつ聞けば。
車夫「エエオイ。こねえだはの。おいらアほんとにむねくそがわるくっての。
馬丁「どうしたのだ。
車夫「どうしたってこうしたって。お前《めえ》のめえだがの。おめえのとこのおはねさんがの。例の後家の内へきやアがって。今きている山中というやツをさそい出して。向島《むこうじま》までおしのびという寸法で。一しょに出かけたと思いねえ。初手《しょて》はおいらア正直だからきていに思うた。後家とおつだという噂《うわさ》があるのに。敵手《あいかた》がちがっているのはへんだなと思っているとの。花時分たアちがって人通りもすくねえだろう。スルト野郎め。おはねさんの車へ相乗りと出かけて。テケレッパだろうじゃアねえか。しかたがねえ泣く子と地頭だ。馬鹿なつらアしておいらアからッ車を曳いて跡から行くと。奥の植半《うえはん》へいってお昼飯《まんま》ヨ。あんまりいめえましいから。せめて円助もせしめてやろうとおもったら。如才《じょせえ》なく先へ廻って半助よ。フーン人をつけ。半助ぐらいでおたまりこぼしがあるものかだ。おめえの前《めえ》だがおらアむねきでならなかった。
馬丁「どうりでこねえだは珍らしく日本服で出かけるとおもったぜ。
車夫「親指はしらねえのか。
馬丁「ナアニしれッこなしよ。どいつもこいつも。金ぐつわをはめられて。ねえしょねえしょサ」とひそめきながら乗りが来て。思わず声高にはなすを。勤は立ち聞きて。さい前よりまゆのあたりに幾たびもいなびかりをさせて聞きいたりしが。たちまちせわしく立たんとして。またおもいかえす由ありてか。なおも伺いいたりけり。
馬丁「だがの考えて見りゃア珍らしくもねえやつよ。おれっちが行くとこはみんな位《くれい》のいいうちだが。大げえはなんかしらなんくせつきだ。
車夫「一体それが西洋がっているやつにおおいじゃアねえか。
馬丁「ナアニそれりゃアまだ世がひらけねえからだとよ。何てッだって。今晩はとシチンの帯かなんかぶらさげた腰ッぺたを。いつの間にかチャボのけつのようにおっ立てやがって。すましている時節だろうじゃアねえか。この間|舌長《したなが》さんがうめいことをいッたぜ。今の時代は道楽時代という時代だとヨ。女といちゃつきたい時は西洋風を持ち出すし。権妻《ごんさい》を置きたい時には昔風を持ちだすし。かたでらちくちゃアありゃアしねえとよ。だがお互いのようにレコがなくッちゃア。道楽時代もあてになりゃアしねえアハハ」何たわいなき咄しの内勝手の方に。
「山中さんのお立ちですよ」勤はいそぎ立ち上り。それかあらぬかさまざまに。くるう心のこま下駄も。音たてさせじと忍び足。庭の方《かた》へぞかえりける。

     第八回

 暑さは金《かね》をとかすともいうべきほどの水無月《みなづき》に、遊船宿と行燈《あんどう》にしるせる店へ。ツト入り来たりし男年ごろ二十四五なるべく。鼻筋とおり色白く。目もとは尋常に見ゆれども。どこともなくするどきところありて。いわゆる岩下の電《いなずま》ともいわまほし。口はむしろ小さすぎたるほどなるに。いささか八の字の鬚《ひげ》をたくわえたり。身長《みたけ》は人並みすぐれたるが。縞《しま》フラネルの薄きもて仕立てし。ジャケットに同じき色のズボンをはき。細きステッキを手にもちて。パナマハットの大形なるを頂き。わざと蝙蝠傘《こうもりがさ》はもたざりけり。
女房「オヤマア駿河台《するがだい》の若殿様。お久しぶりでございます。この間御洋行からお帰りになりましたと。宮崎さんから伺いましたが。ようまア。
篠原「十日ばかりあとにもどったが。きょうはあんまりあついから。その宮崎と涼みに出かける約束だから今にくるだろう。屋根を一|艘《そう》仕度《したく》してくんな」
女房「御酒《ごしゅ》はいりますか。お肴《さかな》は。
篠原「ストックを三本ばかりと。肴は三通りばかり見つくろって。いずれどこへか上るのだから。たんとはいらない」という折りから。宮崎は斎藤とともに入り来たり。
斎藤「や。先に来るつもりだったが」という間に。船も出来たれば一同それにのりうつりたり。
宮崎「五年というと久しいようだったが。こうなって見ればはやいものだ。洋行中にはいろいろの咄しもあろうし。君のことだから学術上には発明の説もあろうから。お尋ね申しゆっくりお聞き申したいと思っていたが。尊大人《そんたいじん》のとかくおすぐれなさらないので。御混雑の様子ゆえはばかりまして御無沙汰《ごぶさた》サ。
斎藤「僕も同様。しかし昨今はいかがでござります。
篠原「僕もご同感さ。君輩《きみはい》のごとき同窓の友を会して。ゆるゆるお咄しがしたいけれど。親
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三宅 花圃 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング