藪の鶯
三宅花圃
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)磊落《らいらく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)眉|秀《ひい》で
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+尼」、第4水準2−3−73]布《らしゃ》
[#…]:返り点
(例)仲春会[#二]男女[#一]
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第一回
男「アハハハハ。このツー、レデースは。パアトナアばかりお好きで僕なんぞとおどっては。夜会に来たようなお心持が遊ばさぬというのだから。
甲女「うそ。うそばかり。そうじゃござりませんけれども。あなたとおどるとやたらにお引っ張り回し遊ばすものですから……あの目がまわるようでござりますんで。そのおことわりを申し上げたのですワ。
男「まだワルツがきまりませんなら願いましょうか。
ときれいにかざりたるプログレムを出して名を書きつける。
男「では今に」とこの男は踏舞の方へゆく。つづいてあまたの貴嬢たちは皆其方に行きたりしあとに残れる前のふたりのむすめ。
甲女「あなた今のお方御ぞんじ。
乙女「エーあの方は斎藤さんとおっしゃって。宅へもいらっしゃりました。
甲女「オヤさようでござりましたか。わたくしはこの間おけいこの時お名をはじめてしりましたよ。もとからよくおみかけ申す方でしたが。なんですか少し軽卒なお方ねえ。そうしてお笑い声などが馬鹿に大きゅうござりまして変な方ですねえ。
乙「デモあの方は学問もおあり遊ばして。なかなか磊落《らいらく》なよい方でござりますヨ。
と互いにかたらうこの二嬢《ふたり》は。数多《あまた》群集したる貴嬢中にて水ぎわのたちたる人物。まず細かに評せんには。一人は二八ばかりにして色白く目大きく。丹花の唇《くちびる》は厳恪《げんかく》にふさぎたれどもたけからず。ほおのあたりにおのずから愛敬ありて。人の愛をひく風情《ふぜい》。頭《かしら》にかざしたるそうびの花もはじぬべし。腹部はさのみほそからねども。洋服は着馴《きな》れたるとおぼし。されど少しこごみがちにてひかえめに見ゆるが。またひとしおの趣あり。桃色のこはくの洋服を着して。折々赤きふさの下りたる扇子にて。むねのあたりをあおいでいる。
側《かたわら》に坐したるは。前の嬢《むすめ》にくらべては。二ツばかり年かさにやあらん。鼻たかくして眉|秀《ひい》で。目は少しほそきかたなり。常におさんには健康を害すなどいいてとどめたまう。かの鉛の粉《こ》にても内々用いたまいしにやあらん。きわだちて色白く。頭《かしら》はえりあしよりいぼじり巻きに巻き上げて。テッペンにいちょうがえしのごとく束《つか》ねて。ヤケに切ったる前がみは。とぐろをまきて赤味をおびたり。白茶の西洋仕立ての洋服に。ビイツの多くさがりたるを着して。少しくるしそうにはみゆれど。腹部はちぎれそうにほそく。つとめて反身《そりみ》になる気味あり。下唇の出《い》でたるだけに。はたしておしゃべりなりとは。供待ちの馬丁《べっとう》の悪口。総じていわば。十人並みには過ぎたるかたなり。前の貴嬢は少しかんじたというようすにて。
乙「しの原さん。あなたのおあにい様も。モウお帰りが近づきましたねえ。
篠原「エエ夏ごろに帰るといってまいりましたけれど。わたくしゃアいやですワ。めんどくさくって。
乙「オヤなぜでしょう。あなたおたのしみでしょうにねえ。そうして学校のお下読みや何かしておいただき遊ばすにようござりましょう。
篠「ナニわたくしはもう学校へまいりません。アノ父が胃弱で当節は大そうよわりましたし。母は御存じのわからずやですから。家事も半ば私くしが指揮いたしますので忙がしくって。
乙「オヤ。では英学はどう遊ばしました。おやめではござりますまい。でもあなたぐらいコンバルゼイションがお出来になればよろしゅうござりますネ。
篠「どうして。私くしは充分英学を勉強したい気ですから。このごろではあの御存じでしょう。山中というあの人は。学力もありますからたのんできてもらいます。随分忙がしゅうござりますよ。毎日毎日英語のけいこもいたしますし。うちのことや何かなかなか大変でござりますが。どんなに忙がしゅうござりましても。キット踏舞には参りますわ。
乙「デモおとと様がおわるくてはいらっしゃられますまい。わたくしもうちで交際の一ツだと申して勧められますけれど。どうもまだ気味のわるいような心持がいたしまして。外国人とはよう踏《おど》られません。それに学校の方が忙がしゅうござりますから。めったに参りましたことがござりませんので。お近づきがまことにござりません。
篠「ナゼあなたそんなにお気がすすまないでしょう。私くしは宅にいてくさくさしても。ここへまいりますと。急に気がアクチブになりますよ。あの西洋じゃア踏舞をしない人を。ウォールフラワア(かべの花)と申していやしめますとサ。あなたもそのおなかまですか。オヤオヤ宮崎さんが久しぶりできていらっしゃりますヨ。あの方は御器量もよし。なんでもお出来になりますッてね。御きりょうのよいも人柄を直《ね》うちするもので御りっぱにみえますネ。あの方のパアトナアはどなたでしょう。大そうせいの低い。オヤいやなかっこうの洋服ですこと。日本人はせいがひくくってみすぼらしい上に。さぎが鰌《どじょう》をふむようなふうをして。あれですからきつけないと困ります。私くしはふだん洋服でおりますが。母がいつでも下にあるものを裾《すそ》でもって行くと申しますから。西洋では下へものはおきません。おくほうがわるいといつもけんかをいたしますワ。
乙「あなたは御格好がよろしゅうござりますから。よろしゅうござりますよ。あの宮崎さんのお妹《いもと》さんは。まことに西洋人のようでござりますヨ。私くしの学校中でも御きりょうが一番よいという評判でござります。
篠「オヤ。でもあの方のシスタアは。目が大きいからこわいというではござりませんか。ものもよく出来ますか。
乙「エエ今年お十四におなりあそばしたのですが。お年ににあわずなんでもよくお出来になります。
篠「あのあなたは御平生《ごふだん》もお洋服ですか。
乙「いいえ。ぜんたいふだんにきませんでは。軽便なこともわかりませんに。よそへ行く時にばかりだれもきますようになっておりますから。ただ華奢《かしゃ》にばかりながれて。田中屋の白木屋のと服の競争をするようなもので。わたくしもどうかきるならば。平生にきたいと存じますけれど。塾《じゅく》も日本造りでござりますから。思うように参りません」と咄《はな》しをしているうち。一曲の踏舞は終り。斎藤は宮崎とともにいできたり。
斎「じゃア浜子さん願いましょう」とかのいぼじり巻きの貴嬢を連れて行く。
宮「オヤ。ミス服部《はっとり》しばらくでした。
服「宮崎さんどう遊ばしました。
宮「少し不快で。毎度妹がお世話になります。あなたが朝夕おせわくださるので。このごろでは日曜も帰りたくないと申しています。
服「なに少しも行き届きません」と咄《はなし》の内はやまた曲のはじまりたれば。
宮「では久しぶりに願いましょうか。
服「どうか」とこれより立食などさまざまありて。午前一時ごろ馬車の先追う声いさましく。おのおの家路におもむきぬ。これはこれ鹿鳴館《ろくめいかん》の新年宴会の夜なりけり。
第二回
今川小路二丁目の横町を曲って三軒目の格子造り。表の大地は箒木目《ははきめ》立ちて塵《ちり》もなく。格子戸はきれいにふききよめて。おのずから光沢をおびたり。残ったる番手桶《ばんておけ》の水を撒《ま》きたるとおぼしき。沓《くつ》ぬぎのみかげ石の上に。二足ばかりしだらなくぬぎすてたるこま下駄《げた》も。小町という好み。二階には出窓ありて。竹格子にぬれ手ぬぐいのかかりあるは。下宿屋にもあらず。さりとて学校の外塾には無論なし。察するにこの二階は。主《あるじ》の死去したるかまたは旅行中にてあきたるがゆえ。日ごろ懇意なる人に。どろぼうの用心かたがた貸したるとおぼしけれど。これも少し無理こじつけの鑑定なるべし。この二階の食客《いそうろう》は。年ごろ二十七八にして。目鼻クッキリと少しけんはあれども。かかる顔だちをイキとやらたたえて。よろこべるむきの人もありとぞ。チョイと二ツにたたんだる嘉平《かへい》の袴《はかま》。紫のふろしきにつつんだる弁当箱など。まず出来星の官員ならんか。湯がえりとおぼしく。目のふちをほんのりあかくして。窓の上へ鏡をのせ。しきりに頭をかきつけていると。あだなる声にて。
女「アーあたしがそう申すよ」と二階をどんどんあがってきて。チョイと顔を出し。
女「オヤきれいにおつくりが出来ましたネ。たばこの火を持ってきました」と十のうを片手にもって。火鉢《ひばち》の傍へチョイと立てひざをしてすわる。年ごろは三十ばかり色浅黒くして鼻高く。黒ちりの羽織も少し右の袖口《そでくち》のきれかかりたるに。鹿《しか》がすりの着物えり善好みの京がのこも。幾度かいけあらいをしたという半襟《はんえり》をかけて。小前がみのあとのすこしはげたるを。松民《しょうみん》の蒔絵《まきえ》をした朱入りの櫛《くし》で。毛をよせてぐっと丸わげの下へさし込んでいる。ハテあやしやナアというけだもの。火を火鉢へとりながら。一心に巻きたばこの死がいを片づけている。年に似合わず口のきき方はあどけなきかたなり。
女「ネー山中さん。モーいいかげんにしてこっちをおむきなさいヨ。あのネさっき……あの今におたのしみ。
山中「ナゼ。
女「なぜッて大へんにいいことがあるのです。きかしましょうか。
山中「拝聴拝聴。
女「アノさっき私しが湯に行きましたろう。すると留守に黒鴨《くろがも》のこしらえでリッパな車夫がきて。あなたおうちかッて聞きましたッて。清《きよ》がるすだッていいましたら。では後ほどまた伺います。ぜひお目にかかりとうございますからッて。帰りましたッて。清がそういいましたよ。大へん品のいい西洋服のお嬢さんが。格子の外に車にのってまッていたッて。なんでもキットあの方にちがいないと思いますわ。
山「だれ。
女「おとぼけなさるなヨ。しれたこと。しの原さんのヨー」と少し鼻ごえで力を入れていう。
山「アアあのおてんばか。僕がしばらく行かなかったから。英書の質問に出かけてきたんだろう。あの西洋好きにも困るよ。傍へよるとなんだか毛唐人くさくって。
女「オヤいつ傍へよって。
山「そりゃアなにサ。毎日毎日けいこに行くから。あのちぢれっ毛の前がみをつきつけられつけていらア。
女「だけれどこうしていてもそんな別品がきちゃア気が気じゃアないワ」とすこしわらいながら。
ほんとに姉女房は心配だワ。だけれどキットうしろぐらいことはないのエ。後暗いことは。エエ。
山「ナニあるもんか。
女「どうだか。
山「かつてなしだ。
女「フーン」と笑っている。下女のお清がバタバタ中だんまであがって来て。
清「御新《ごしん》さん御新さん。玉子屋がきましたヨ。
女「今日はいらないヨ。
清「でももうありませんヨ。
女「いらないヨ。
清「あれだもの。いつでも二階へあがると。ちょッくらちょいとおりてきやアしないよ」とぶつぶついいながら台所へきて。
清「おばアさん今日はいらないとヨ。
婆「ハイハイありがとうござります。またおねがい申します。
清「マアかけて一ぷくおのみヨ。
婆「じゃア少し休ましておもらい申そうかね。ドッコイショ。おめえさまはいつも身ぎれいにしていなさるネ。しの原様の女中|衆《しゅ》とおめえさまばかりだ。身ぎれいにしているは。だが篠原さんのは洋服だからおかしい。
清「おやおまえ篠原さんへはいるの。
婆「アア行くどこじゃアない。いいお得意様サ。三日にあげず五六十ズツもかっておくんなさらア。
清「じゃアあの嬢さんもみたろう。美しい女だろう。
婆「いい女にゃアちげえねえけれど。わたしらが目には高島田のほうがいいのさネ。
清「あの嬢さんはうちの山中さんネ。
婆「ムムあのいい男か
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