》の鉢で、まわりに綺麗な人物が描いてありましたが、それをきらきらした金の鉢にしてしまったのです。
 そのうちにメアリゴウルドが、しぶしぶと扉をあけて、目にエプロンを当てたまま、まだ胸も張り裂けるばかりに泣きじゃくりながらはいって来ました。
『おや、どうしたの、姫や!』とマイダスは叫びました。『このお天気のいい朝に、一体どうしたことじゃ?』
 メアリゴウルドは目にエプロンを当てたまま、手をさし出しましたが、その手にはマイダスが今しがた金にしたばかりの薔薇の一つがありました。
『美事《みごと》じゃ!』と父は叫びました。『してこの大した金《きん》の薔薇の何処が気に入らなくて泣くのかね?』
『ああ、お父さま!』と姫はすすり泣きのうちにも、出来るだけはっきりと答えました。『これ美《うつく》しかあないわ、こんなきたない花ってないわ! あたし着物を着るとすぐに、薔薇を摘もうと思ってお庭へ駆けて行ったのよ。だって、お父さまは薔薇がお好きでしょ、あたしが摘んだのは余計にお好きでしょ。だのに、まあ、まあ! どんなことになっていたと思って? とてもひどいことになっちゃったのよ! あんなにいい匂《にお》いがして、あんなにとりどりのきれいな紅色《べにいろ》をしていた美しい薔薇が、みんな病気になってめちゃめちゃになっちゃったのよ! これ、この通り、みんなまるで黄色くなっちゃって、もう匂いもなんにもないの! 一体どうしたというんでしょうね?』
『なあんだ、わしの可愛い姫や――そんなことで泣くんじゃないよ!』とマイダスは言ったものの、姫をこんなにひどく悲しませた変化を自分の手でおこなったのだと打明けることは、恥ずかしくて出来ませんでした。『坐ってパン入りのミルクをおあがり! 何百年でも保《も》つような、こんな金の薔薇を持ってれば、一日で凋《しぼ》むようなただの薔薇となら、何時でも取換えられるからね。』
『あたしこんな薔薇はいやです!』とメアリゴウルドは叫んで、それを三|文《もん》の値打もないもののように投げ棄てました。『ちっとも匂いはないし、固い花弁が鼻を刺して痛いんだもの!』
 姫はもう食卓についていましたが、黄色くなってしまった薔薇に対する悲しみで心が一杯だったので、彼女の支那鉢の驚くべき変化にも気がつきませんでした。多分その方がずっとよかったのでしょう、というのは、メアリゴウルドは、鉢のまわりに描いてある奇妙な人物や、変った木や家を見て、いつも喜んでいたのに、今ではそれらの絵がすっかり金の黄色の中に消え去っていたからです。
 その間にマイダスは、一杯のコーヒーを注《つ》いでいました。勿論コーヒー注ぎも、彼がそれを取り上げた時はどんな金属《かね》で出来ていたにせよ、それを下に置いた時にはもう金になっていました。彼は自分みたいな質素な日常を送る王様としては、金づくめの食器で朝飯をたべるなんて、随分贅沢なやり方だなあと、独りで考えました。そして、こんな風にどんどん出来て来る宝物を安全にしまっておくことは容易じゃないので、閉口し始めました。もはや戸棚や台所では、金の鉢やコーヒー注ぎのような高価なものをしまっておく場所としては、大丈夫とは云えませんでした。
 こんなことを考えながら、彼はコーヒーを一匙すくって口へ持って行きました。そしてすすって見て、それが唇に触れた瞬間に、熔かした金になり、次の瞬間には、金のかたまりになったのを見てびっくりしました。
『はあ!』マイダスはすこしあきれて叫びました。
『どうしたの、お父さま?』と小さなメアリゴウルドは尋ねて、目に涙をためたままで、じっと彼を見つめました。
『何でもない、姫や、何でもないんだよ!』マイダスは言いました。『冷《さ》めないうちにミルクをおあがり。』
 彼は皿の上のおいしそうな川鱒を一尾取って、試験の意味で、その尻尾《しっぽ》を指でさわって見ました。驚いたことには、そのおいしそうに出来た川鱒のフライが、金の魚になってしまいました。但し金の魚といっても、客間の装飾としてガラス鉢の中によく飼われているような金魚になったのではありません。そうじゃなくて、本当に金で出来た魚になったのでした。そして、世界一の金細工師の手でたくみに作られたかのように見えました。その小さな骨は、今では金の針金となり、鰭《ひれ》と尻尾とは薄い金の板となり、フォークで突ついた痕《あと》までついていて、上手に揚がった魚の、こまかい、つぶつぶした外観までが、すべてそっくりそのまま金で出来ているのでした。君達も想像がつくことと思うが、実にきれいな細工物でした。ただマイダス王も、この時ばかりは、こんな手の込んだ、高価な魚の模型よりも、真物《ほんもの》の川鱒がお皿に乗っていた方がどんなにいいか知れないと思いました。
『これじゃ一体どうして朝飯を食べたものか、まるで分らなくなってしまう、』とマイダスは独りで考えました。
 彼がほやほやのホットケイキの一つを取って、こわすかこわさないうちに、ひどく困ったことには、一瞬間前まで真白な小麦粉で出来ていたものが、玉蜀黍《とうもろこし》の粉でつくったように黄色がかって来ました。実のところ、もしそれが本当に出来たての玉蜀黍のお菓子だったら、ずっと有難かったのですが、最早その固さと急に重くなったこととで、これもまた金になってしまったことが、はっきり分り過ぎて、一向に有難くないのでした。殆どやけになって、彼は茹卵《ゆでたまご》を取って食べようとしましたが、これもすぐに川鱒やお菓子と同じように、金になってしまいました。その卵は実際、お話の本に出て来るあの有名な鵞鳥が、いつも産んでいたという金の卵の一つと間違えられそうでした。しかしその卵が金になってしまったのは、誰のせいでもなく、マイダス王自身がそうしてしまったのです。
『はてさて、これは困ったことじゃ!』と彼は考えながら、椅子にもたれて、小さなメアリゴウルドの方をひどくうらやましそうに見ました。彼女はもう大変おいしそうに、パン入りのミルクを食べているのでした。『自分の前にはこんなに贅沢な朝飯がある。それでいて、何一つ食べられるものはないのだ!』
 今では相当厄介な気がして来た、何でも金にしてしまう力も、大急行で食べれば、避けられるかも知れないと思って、マイダス王は、今度は熱《あつ》い馬鈴薯をつかんで、口の中へ押込み、それを急いでのみ込もうとしました。しかし、触れたものをたちまち金にしてしまう力の速さにはかないませんでした。彼の口は、粉を吹いた馬鈴薯じゃない、こちこちの金の薯《いも》で一杯でした。それがまた彼の舌を焼いたので、彼は大声でうなって、食卓から跳び上って、痛さとびっくりとで、踊ったり、どたばたと足を踏み鳴らしたりして、部屋の中を飛び廻り始めました。
『お父さま、ねえお父さま!』と孝行者の小さなメアリゴウルドは叫びました、『一体どうなさったの? お口が熱《あつ》かったの?』
『ああ、可愛い姫よ、』マイダスは悲しそうにうなりながら言いました、『お前のお父さんはどうなってしまうか分らないよ!』
 本当に君達、生れてからこんななさけない話って聞いたことがありますか? 王様の前に供えることの出来る、文字通りこの上なしの金目《かねめ》の朝飯が出ているのに、その金目《かねめ》のためにこそ、却ってそれがなんにもならないものになっているのです。これでは、本当にその重さだけの金《きん》の値打があるような御馳走を前にしたマイダス王よりも、パン屑と水とですましているような、この上もなく貧乏な労働者の方が、ずっと暮向《くらしむき》がいいということになるわけです。じゃ、どうすればいいんでしょう? 朝飯の時に、もうマイダスは大変お腹《なか》がすいていました。昼御飯までにそれ以上お腹《なか》がすかないわけはありません。すると、晩御飯の時にでもなったら、どんなにがつがつして来るか分りません。しかも、晩御飯とても、きっと今目の前にあるのと同じような不消化な御馳走に違いありません! こうして、金づくめの贅沢な御馳走つづきで、彼が幾日生きて行けると君達は思いますか?
 こんなことをいろいろと考えて見ると、さすが欲馬鹿のマイダス王も、心配になって来て、果してお金《かね》さえあればほかになんにも要らないで通せるものかどうか、又いろいろとほしい物のうちでお金が第一のものかどうかさえも疑わしくなって来ました。しかしこんなことは、ちょっと考えて見ただけのことでした。黄金の光に対するマイダスの迷い方と来ては、大変なものでしたので、朝飯のようなつまらないことのために、何でも金にする力を棒に振ってしまう気には、まだまだなれませんでした。そんなことでもしたら、一回分の食膳がどんなに高いものにつくか、まあ考えてもごらんなさい! 少しばかりの川鱒と卵と馬鈴薯とホットケイキとコーヒー一杯とに対して、何百万円も何百万円も、いやその上いつまで数えても数え切れないほどのお金を払うのと同じじゃありませんか?『それじゃ全く高すぎるわい、』とマイダスは思いました。
 それにしても、お腹《なか》のすき方はあまりひどいし、全くどうしていいやら分らないので、彼はまた大きな声で、その上たいへん悲しそうに唸りました。可愛いメアリゴウルドは、もうこの上辛抱は出来ませんでした。彼女はちょっとの間父を見つめたまま坐って、一生けんめい小さな頭を絞って、父がどうしたのかを知ろうと努めました。それから、父を慰めようとのやさしい、いじらしい気持から、椅子を立って、マイダスのところへ駆け寄り、かたく彼の膝にすがりつきました。彼は屈み込んで、姫に接吻しました。彼は何でも金にする力によって得たものよりも、彼の小さな姫の愛情の方が何千倍貴いか知れないと思いました。
『わしの大事な、大事なメアリゴウルドよ!』と彼は叫びました。
 しかしメアリゴウルドの返事はありませんでした。
 ああ、彼は何ということをしてしまったのでしょう! あの見知らぬ人が彼に与えた力は、何とおそろしいものだったのでしょう! マイダスの唇がメアリゴウルドの額に触れたその瞬間に、一つの変化が起ったのです。あんなに深い愛情に満ちていた彼女の可愛い、薔薇色の顔が、きらきらした金色に変り、頬を伝う涙さえそのまま黄色くかたまってしまいました。彼女の美しい鳶色《とびいろ》の巻毛も同じような色になりました。彼女のやわらかい小さなからだは、父の腕に抱かれたまま、固く、しゃちこばってしまいました。おう、何というおそろしい災難でしょう! 彼のきりのないお金に対する欲望の犠牲となって、小さなメアリゴウルドは、最早生きた子供ではなく、黄金の像になってしまったではありませんか!
 そうです、彼女はやさしく、悲しく、気の毒そうに、お父さまどうしたのとでも問いたげな表情のままで、顔が固まってしまったのでした。それはこれまで人間が見たうちで、一番可愛らしく、しかも一番いたましい姿でした。メアリゴウルドの目鼻立や特徴はすべてそのままで、可愛らしい小さな靨《えくぼ》さえ、その金色の頤《あご》に残っていました。しかし、そっくりそのままに似てれば似てるほど、娘の残して行った形見のすべてともいうべきこの黄金像を眺める父の悲しみは大きいのでした。姫が可愛くてならない時にはいつでも、お前はお前の重さだけの金の値打があると言うのが、マイダスの好きなおきまり文句でした。そして今やその文句は、文字通りほんとうになってしまいました。そして遂にもう間に合わない今となって、彼は彼を愛してくれる暖い、やさしい心の方が、天地の間に積み上げることの出来る、どれほどの宝よりも、どんなに貴いか知れないということを、しみじみと感じたのでした。
 いよいよ彼の願いが十分に叶えられた時になって、彼が手を揉み絞って嘆き始めた有様や、メアリゴウルドを正視するにも忍びないし、それかといって彼女から目を離すことも出来なかった彼の心のうちなどを、一々述べていたら、随分と悲しい話になってしまうでしょう。とにかく、彼の目がその像に注《そそ》がれている時のほかは、彼はど
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