ワンダ・ブック――少年・少女のために――
A WONDER BOOK FOR BOYS AND GIRLS
ナサニエル・ホーソン Nathaniel Hawthorne
三宅幾三郎訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)仕合《しあわ》せ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|七つの破風ある家《ザ・ハウス・オブ・セヴン・ゲイブルズ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「魚+條」、第4水準2−93−74]魚《やなぎばえ》が
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訳者のことば
「ワンダ・ブック」A Wonder Book for Boys and Girls, 1852. は「少年少女のために」書かれたものではありますが、それがために調子をおろしてかかったようなものでないことは、作者ナサニエル・ホーソン Nathaniel Hawthorne, 1804―1864. が、その「はしがき」で述べている通りです。ホーソンはアメリカ文学史上、一二をあらそう大作家であります。そんな立派な人が、こうした美しい物語を書きのこしてくれたことは、少年少女にとって、非常な仕合《しあわ》せといわなければなりません。
ホーソンは、一八〇四年に、マサチウセッツ州のセイレムという古い港町に生れました。彼の祖先は英国から渡って来た清教徒でした。彼の祖父は独立戦争の時、船長として勇ましい働きをしました。父もまた船長でしたが、ホーソンの小さい時になくなりました。母一人の手で育てられながら、彼が「今に船乗りになって二度と帰って来ない」などと言い出したのも、祖父や父のことが頭にあったからでしょう。しかし彼は、ふとしたことから、本を読むことが好きになり、自然をこまかく見たり、物事を深く考えたりするようになりました。そして、作家になろうという決心は、大学へはいる前からついていたようです。母に宛てた手紙の、興味ある次のような一節で、それがよく分ります。
『私は、他人の病気で食べて行くお医者さんにも、他人の罪で食べて行く牧師さんにも、また他人のあらそい事で食べて行く弁護士にもなりたくありません。すると、私は作家になるほか道がないと思うのです。お母さんは今に、息子の書いた「ホーソン全集」で、本棚をお飾りになる日が来るのを、嬉しいとは思いませんか。』
こんな考え方が正しいとばかりはいえませんが、とにかく、いかにも清教徒の血をうけた少年ホーソンらしい手紙だと思います。
大学へはいってからの彼は、ギリシャ語やラテン語が特によく出来て、また即座に空想的な物語を考え出して、それを上手に話して聞かせるので評判になりました。「ワンダ・ブック」のお話は、どれもユースタス・ブライトという大学生が、休暇で帰って来て、子供達に話して聞かせる形になっていますが、作者はおそらく、自分の学生時代のことを思い出しながら、それを書き綴ったものと思われます。さて、「ワンダ・ブック」のことはあとにして、ホーソンの大学時代の友人の中には、後にアメリカ第一の詩人となったロングフェロウ、大統領に選ばれたピヤース、海軍にはいって名をあげたホレイショウ・ブリッヂなどがいました。
この人達は、えらくなってからも、みんなで、ホーソンにたいへん親切をつくしました。というのは、名前が少し売れて来た時でも、隣り近所の人達さえホーソンの顔を知らなかったというくらい、彼は世間ばなれのした生活を送っていたので、友達としては、何とか彼を早く世に出して、その真価を一般に知らせたい気がしたからでした。
却《かえ》って英国の方で、早くから、ホーソンの書いたものに感心している人がありましたが、彼の名が第一流の小説家としてアメリカ中に知れ渡ったのは、一八五〇年、彼が「緋文字《スカアレット・レタ》」を公にしてからでした。その次の年には「|七つの破風ある家《ザ・ハウス・オブ・セヴン・ゲイブルズ》」を出し、またその翌年には、「ワンダ・ブック」を出しました。だから、「ワンダ・ブック」は、はじめにもちょっといっておいた通り、「少年少女のために」とはいっても、作者の一番脂の乗った時分に出来た立派な文学的作品です。なお、彼の本のうちで、言い忘れてならないものに、右の諸作よりもずっと前に書かれた、不思議な美しさをもつ短編集「|云い古された話《トワイス・トウルド・テイルズ》」があります。
ホーソンは、一八六四年、彼が六十歳の時、友人の元大統領ピヤースに誘われて、旅行に出たまま、旅先プリマスの宿でなくなりました。
さて、「ワンダ・ブック」はホーソン自身の「はしがき」にもある通り、ギリシャ、ローマの神話から材料を取って、それを極めて自由に書きこなしたものです。最初の話「ゴーゴンの首」は「メヅサの首」といった方が分りが早いかも知れません。二番目の「何でも金になる話」は、慾ばりのマイダス王の話で原作の表題は THE《ザ》 GOLDEN《ゴウルドン》 TOUCH《タッチ》 ですが、「さわるものすべてを金にする魔力」という意味を漢字などであらわすと、よけいにむずかしくなるので、ちょっと変えて見ました。第三の「子供の楽園」は「パンドーラの箱」の話。第四の「三つの金の林檎」は英雄ハーキュリーズ(ヘラクレス)がヘスペリディーズの庭の金の林檎を取りに行く話です。第五の「不思議の壺」は「何でも金になる話」と共に、この本の中では最も教訓的なものですが、作者ホーソンのやさしい、正しい、そしてきびしい一面が、よく出ていると思います。最後の「カイミアラ」は青年英雄ビレラフォンが、天馬《ペガッサス》を得て、怪物カイミアラを退治する話です。ところが、ギリシャ、ローマの神話を読んで見ると、面白いことには、ビレラフォンを助けてカイミアラを討たせた、世にも美しい天馬ペガッサスは、パーシウスに首を落された、あの怪物メヅサの胴体から生れたということになっています。また、その時一しょに生れた今一人の兄弟の子が、「三つの金の林檎」の中に、六本足の怪物として、ハーキュリーズの手柄話にちょっと出て来るヂェリオンだったりするというようなわけで、「ワンダ・ブック」を読んでから、ギリシャ、ローマの神話にはいって行くならば、多くの旧知に出遇《であ》うような喜びを感じるでしょう。
最後に、それぞれの話の前後に添えられた「タングルウッドの玄関」その他の短い文章について、一言附加えておきたいと思います。それらは、前にもちょっと言った、作者の学生時代を思わせる青年ユースタス・ブライトが、子供達にそれぞれの話をして聞かせた、時と所と情景とを、まず描いて見せることによって、読者を聴き手の中へ誘って、話がすむとまた子供達に意見を述べさせたりして、読者にも考えさせるといったような、いずれも非常に暗示的な、面白いものだと思います。但し、話の本文とは少し行き方を異《こと》にしていて、寧《むし》ろ父兄の理解を助けるために添えられたものともいえるので、訳文の調子も少し変えておきました。
[#ここから3字下げ]
昭和十二年七月
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]三宅幾三郎
[#改丁]
目次
はしがき
―――――――――――――
タングルウッドの玄関(「ゴーゴンの首」の話の前に)
ゴーゴンの首
タングルウッドの玄関(話のあとで)
―――――――――――――
シャドウ・ブルック(「何でも金になる話」の前に)
何でも金になる話
シャドウ・ブルック(話のあとで)
―――――――――――――
タングルウッドの遊戯室(「子供の楽園」の話の前に)
子供の楽園
タングルウッドの遊戯室(話のあとで)
―――――――――――――
タングルウッドのいろりばた(「三つの金のりんご」の話の前に)
三つの金のりんご
タングルウッドのいろりばた(話のあとで)
―――――――――――――
丘の中腹(「不思議の壺」の話の前に)
不思議の壺
丘の中腹(話のあとで)
―――――――――――――
禿げた頂上(「カイミアラ」の話の前に)
カイミアラ
禿げた頂上(話のあとで)
[#改ページ]
はしがき
著者は、ずっと前から、ギリシャ、ローマの神話の多くは、少年少女のために、とてもすばらしい読み物に書きかえることが出来るという意見を持っていた。ここに公にする小冊子に於て、著者はそうした目標のもとに、六つの神話物語を書き上げてみた。このもくろみのためには、思いきった自由な取扱い方が必要だった。しかし誰でも、これらの伝説を、自分の頭の中で鍛《きた》え直してみようとすれば、それらが実に、すべての一時的な形式や事情から独立したものであるということに気がつくであろう。ほとんどほかのものはすべて、もとの形を失ってしまうほどの変化を与えても、神話そのものの本質は少しも変らないのである。
だから著者は、二三千年の歴史によって神聖化せられているその外形に対して、空想のおもむくままに、時に改変を加えたからといって、別に勿体ないことをしたとは思っていない。いかなる時代も、これら不滅の神話を、自分のものだと主張するわけには行かない。それらは、つくられたものだという気がしないくらいであって、たしかに、人類が存在する限り、ほろびようがないのである。しかし、そうして不滅であればこそ、いつ、いかなる時代が、それらの神話に、その時代固有の形式と感情のころもを着せ、またその時代固有の道徳を吹き込んでも、一向さしつかえはないのだ。この本の中では、神話はその古典的な外貌の多くを失ったかも知れない(いずれにしても、著者はそれをつとめて保存しようともしなかったのであるが)、そして、おそらく、粗野《ゴシック》な、或《あるい》は浪漫的《ロマンチック》なものになってしまったかも知れない。
この愉快な仕事をするに当って――というのは、それはほんとに夏向の仕事だったし、また、著者が今までにくわだてた文学的な仕事のうちで、最もこころよいものの一つだったから――著者は、子供達によく分らせるために、常に調子を下げて書かなくてはならないとも考えなかった。話の性質上、自然にそうなって行く時とか、また著者の気持が話につれて、われ知らず高揚して行くような時には、大抵の場合、話の調子が高くなるがままに放任した。子供達は、想像の上でも感情の上でも、それがどんなに深く、或は高いものであっても、同時に単純でさえあれば、おそろしく分りのいいものだ。子供達を面喰《めんくら》わせるものは、ただあまりにひねくりまわした、こみ入ったものだけなのである。
[#改丁]
タングルウッドの玄関
――「ゴーゴンの首」の話の前に――
天気のいい、秋の或《あ》る朝のこと、タングルウッドという田舎のお屋敷の玄関先に、背《せ》の高い青年を取りかこんで、愉快な子供達の一群が集まっていた。彼等は木の実拾いに出かけることになっていたので、丘の斜面から霧が晴れ上がって、お日様が野原や牧場の上一杯に、それから、色とりどりに紅葉した森の奥まで、小春日のあたたかさをふりまいてくれるのを、今か今かと待っているのであった。この美しい、気持のいい世界の様子を更に引立てて見せる上天気のうちでも、今日はまた飛切りの上天気になりそうだった。しかし、今のところ、霧はまだ谷間の長さ一杯、幅一杯に立ちこめて、お屋敷はそれに浮くように、なだらかに盛《も》り上がった丘の上に建っているのであった。
この白い霧は、その家から百ヤードとも離れないあたりまで迫っていた。それから先はすべて霧にかくれて、ただ見える物とては、あちらこちらに頭を突き出して、霧のおもてと一しょに、朝の陽に美しく照らし出されている赤や黄色の樹の天辺《てっぺん》だけだった。南の方、四五マイルはなれて、モニュメント山のいただ
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