知らぬ人は部屋を眺めまわしました。そして彼の光を放つような微笑で、部屋の中の金で出来たいろいろの品物をみんなきらきらと光らせてから、またマイダスの方に向きなおりました。
『マイダスさん、あなたはお金持ですね!』彼は言いました。『こうしてあなたが一生けんめいこの部屋に積上げられたほどの金のはいった部屋は、世界中何処へ行っても、ほかにはなさそうですね。』
『わしもかなり集めましたよ――かなりね、』とマイダスは、まだ満足出来ないといった調子で答えました。『しかし結局、これだけ集めるのに、一生かかったことを思うと、あんまり少なすぎますよ。人間も千年くらい生きられるものなら、金持になる暇もありましょうがね!』
『何ですって!』と見知らぬ人は叫びました。『それじゃあなたは、まだ不足なんですか?』
 マイダスは頭《かぶり》を振りました。
『では一体、どうなったら満足するんです?』と見知らぬ人は尋ねました。『あんまり変っているので、ちょっとお訊きするだけのことですが、是非一つ、うかがいたいものですなあ。』
 マイダスはちょっと考え込みました。彼は、やさしい微笑に金色の光をさえ含んだ、この見知らぬ人は、彼の最大の望みを叶える力もあり、またそれを叶えてくれるつもりで来たのじゃないかというような虫の知らせを感じました。だから、今こそ、彼の頭に浮かんだ、出来そうな相談は勿論、ちょっと出来ないような相談でも、ただ口に出して頼みさえすれば、聞いてもらえるという、またとない機会なのです。そこで彼は考えに、考えに、考えて、黄金の山の上に、また黄金の山と、頭の中でいくつも積み重ねて見ましたが、なかなかこれでいいという大きさにはならないのでした。とうとう、すばらしい考えがマイダスの胸に浮かびました。それは本当に、彼の大好きな金にも負けない位すばらしいもののような気がしました。
 彼は頭を上げて、この光り輝く見知らぬ人をまともに見ました。
『どうしました、マイダスさん、』とその人は言いました。『何か気に入った考えが浮かんだようですね。あなたの望みを言って下さい。』
『ただこういうことなんですが、』とマイダスは答えました。『こんなに骨を折って宝を集めて、力一杯やった結果が、こんなちっぽけなものかと思うと、わしはうんざりしてしまうのです。わしはさわった物が何でも金になってくれたら、どんなにいいかと思いますな!』
 その見知らぬ人の微笑が、あまりあからさまになったので、それは、こんもりとした谿間へお日様がぱっと射《さ》し込んだように、部屋中を照らすかに見えました。そして金塊や金粉は、明るい光の中に散り敷いた、黄色い秋の木《こ》の葉のように見えたのでした。
『さわれば何でも金になる力ですって!』とその人は叫びました。『そんなすばらしいことを考えつくなんて、マイダスさん、あなたもたしかに相当なもんですね。しかし、それで間違いなくあなたは満足するでしょうか?』
『それで満足しないなんてことがあってたまるもんですか!』
『そんな力が出来て、あとで困ったなんてことは、絶対にないでしょうか?』
『一体、どうして困るなんてことになるでしょう?』とマイダスは問い返しました。『わしは、このことさえ聞き入れてもられえば、完全に幸福になれるんです。』
『では、あなたの望み通りになるように、』と、その見知らぬ人は答えて、別れのしるしに手を振りました。『明日、日の出る時になれば、あなたは何でも金にする力を授っているでしょう。』
 と言ったと思うと、その見知らぬ人の姿がとても光り出したので、マイダスは思わず目を閉じました。今度目をあけて見ると、部屋の中にはただ、一筋の日の光と、それから、彼の周《まわ》り中に、彼が一生かかってため込んだ金がきらきらと輝いているのとが見えるばかりでした。
 マイダスがその晩、平常通り眠ったかどうかは、この話に出ていません。しかし、眠ったにしても、覚めていたにしても、彼の心はおそらく、明日になったら新しい、いい玩具を上げようと約束された子供みたいに、わくわくしていたことだろうと思われます。とにかく、お日様が山から顔を出すか出さないうちに、マイダス王はすっかり目を覚まして、寝床の中から腕を伸ばして、手の届くところにある物をさわり始めました。彼は果してあの見知らぬ人の約束通り、何でも金にしてしまう力が出来たかどうか、ためして見たくてならなかったのです。だから彼は寝台の傍の椅子や、そのほかいろいろなものに指を触れて見ましたが、それがまるでもとのままで、少しも変ったものにならないので、ひどくがっかりしました。実際彼は、どうかするとあの光り輝く見知らぬ人の夢を見ていただけなのか、それともあの人が彼をからかったのではないかしらと、たいへん心配になって来ました。あんなに楽しみにしていたのに、何でもちょっとさわって金にしてしまうというのではなくて、相変らず普通の方法で、わずかな金を掻き集めて行くことに満足しなければならないとしたら、どんなにつまらないでしょう!
 その時はまだ明け方のうす暗がりで、東の空の下の方が、ほんの一すじ明るくなっていただけでしたが、マイダスの寝ているところからは、それは見えませんでした。彼は大変がっかりした気持になって、あてがはずれてしまったのをいまいましく思い、だんだん悲しくなるばかりでしたが、そのうちにとうとう朝の最初の日影が窓からさしこんで来て、彼の頭の上の天井を金色に染めました。マイダスには、この黄色い日影が、寝床の白い覆布《おおい》に何だか変な風にうつっているような気がしました。それをもっとよく見て、リンネルの布地が、まるでまじりけのない、きらきらした金の織物のように変っていたことを知った時の彼の驚きと喜びとはどんなだったでしょう! さわれば何でも金になる力が、朝日の光と一しょに、彼に授ったではありませんか!
 マイダスは喜びのあまり、気違いのようになって飛び起きました。そして部屋中を駆け廻って、何でもその辺にある物を手当り次第につかみました。彼が寝台の柱の一つをつかむと、それはたちまち丸溝《まるみぞ》のついた金の柱になりました。彼は自分がおこなっている奇蹟を、もっとはっきりと見るために、窓掛を一枚引きよせましたが、窓掛の総《ふさ》がまた手の中で重くなったと思うと――もう金のかたまりになっていました。彼は机から一冊の本を取上げました。ちょっとさわっただけで、その本はわれわれが近頃よく見るような立派な装幀《そうてい》の、金縁《きんぶち》の本みたいになりましたが、指を紙の間に通すと、これはしたり! それは金箔を綴《と》じたようになって、中に書いてあった立派な文句はすっかり見えなくなってしまいました。彼は急《いそ》いで着物を着ました。それがまた金の布地で仕立てた堂々たる衣装に変ったので、彼は夢中になりました。それはいくらかその重みで、荷になるような気がしましたが、地質の柔軟《やわらか》さはもとのままに残っていました。彼は小さなメアリゴウルドが縁取《ふちどり》をしてくれたハンカチを取り出しました。そのハンカチもまた、可愛いメアリゴウルドが手際よく、きれいに縁をずうっと縫ったあとが金糸となってついたまま、金になってしまいました。
 どうしたわけか、このハンカチが金になったということだけは、マイダス王もあまりうれしく思いませんでした。彼も、小さな姫の手芸品だけは、姫が彼の膝に上って、彼の手に渡した時そのままであってほしかったのです。
 しかし些細《ささい》なことで気を揉んでもつまりません。マイダスはそこで、自分のやっていることを一層はっきりと見るために、ポケットから眼鏡を取り出して、鼻にかけました。その時分には、一般の人達が使う眼鏡は出来ていなかったが、王様達はもうかけていました。でなければ、どうしてマイダスだって眼鏡を持っている筈がありましょう? ところが、彼が大変|面喰《めんくら》ったことには、そのガラスは上等だのに、ちっとも見えないことが分ったのです。しかしこれほど当り前なことはないわけで、というのは、はずして見ると、透徹《すきとお》っていた筈の上等ガラスが、金の板になってしまっていて、勿論、金としては値打があっても、眼鏡としては使いものにならなくなっていたからでした。いくらお金があっても、役に立つだけの眼鏡を二度と持つことが出来ないような貧乏人も同様になったということは、どうも困ったことだとマイダスは思いました。
『しかし、大したことじゃない、』と、マイダスは大変落着いて、独り言をいいました。『多少の不便が伴わないで、大変いいことがあるなんて思うのは虫がよすぎるんだ。さわれば何でも金になるような力のためには、少なくとも盲《めくら》にさえならなければ、眼鏡の一つ位は棒に振ってもいい。わしの目は普通のことには不自由はしないし、それに小さなメアリゴウルドも、じきにものを読んで聞かせてくれる位の大きさにはなるだろう。』
 お目出度いマイダス王は、彼の幸運をあんまり喜んでしまって、王宮さえも彼がはいっているには少し狭いような気がしました。そこで彼は階下《した》へ下りて行きましたが、そのとき彼が手でずうっと撫でて下りた階段の手欄《てすり》が、磨いた金の棒になってしまったので、またにこにこ顔になりました。彼は扉の※[#「金+巽」、第4水準2−91−37]《かきがね》を上げて(それもほんの今し方まで真鍮だったものが、彼の指が離れた時にはもう金になっていた)、庭へ出ました。ちょうどそこでは、沢山の美しい薔薇が満開で、そのほかに蕾やら、八分咲きやら、いろいろありました。それが朝のそよ風の中に、えもいわれぬ香気《におい》をただよわせていました。それらの薔薇の、美しい赤らみは、ほかではちょっと見られない程のもので、とてもやさしく、つつましく、何ともいえない静かさに満ちていました。
 しかしマイダスは、彼一流の考え方から云って、この庭の薔薇を、今までのどんな薔薇よりもずっと値打のあるものとする方法を知っていました。そこで彼は一生けんめいに薔薇の藪から藪へと飛び廻って、とても根気よく彼の魔力を振《ふる》いましたので、とうとう花も蕾も一つ残らず、いやその心《しん》にもぐっていた虫までが、金になってしまいました。この結構な仕事がすっかり終らないうちに、マイダス王は朝飯に呼ばれましたが、朝の空気のために大変お腹《なか》がすいていたので、急いで宮殿へ帰って行きました。
 マイダスの時代には、王様の朝御飯がどんなものだったかは、僕は本当に知らないし、又ここでそれを穿鑿《せんさく》しているわけにもゆきません。しかし、この記念すべき朝の食卓には、ホットケイキ、おいしい小さな川鱒《かわます》、ロース焼の馬鈴薯《ばれいしょ》、新鮮な茹卵《ゆでたまご》、それからコーヒーなどをマイダスに、そして姫のメアリゴウルドのためには一杯のパン入りミルクが供えてあったことと思います。とにかく、これならば王様の前に供えても恥ずかしくない朝飯でしょう。マイダス王が果してこんな朝飯を食べたかどうかは分らないが、まあこれ以上のことはなかったろうと思います。
 小さなメアリゴウルドは、まだ姿を見せませんでした。マイダスは彼女を呼ぶように言って、朝飯を始めるために食卓について、姫の来るのを待っていました。公平に見て、彼は本当に姫を愛していました。今朝はまた、彼にふりかかって来た幸運のために、その愛情が一層深くなっていました。しばらくするうちに、姫がひどく泣きながら廊下をやって来るのが聞えました。姫が泣くなんて彼には意外なことでした。何故なら、メアリゴウルドは夏の日に遊びたわむれているのをよく見かけるような子供達のうちでも一番元気な一人で、年中ちょっとでも涙を流すようなことのない子でしたから。マイダスは彼女が泣きじゃくるのを聞いた時、あっと驚いて喜びそうなことをやって見せて、可愛いメアリゴウルドの機嫌を直させようと決心しました。そこで、テイブルの上へ乗り出して、彼女の鉢にさわりました。それは支那|出来《しゅったい
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