、ちょっと行きどころを忘れたようにとまどいした。そうして不意を喰らった谷川が、大袈裟に立てている水の音を聞いていると、おかしくなる程だった。それからは、どんどん流れて行きながらも、まるで迷路へはいってしまって独り口でも利いているように、川のささやきは止まなかった。思うに、暗い筈の谿がこんなに明るくはなっているし、その上、沢山の子供達がおしゃべりをしたり、騒ぎまわったりしているので、川もびっくりしたのであろう。とにかく、そんな風にして、川はどんどん谿間をくぐって、湖水の中へと注《そそ》いでいた。
ユースタス・ブライトとその小さな仲間達とは、このシャドウ川の谿で昼食《ちゅうじき》をした。彼等はタングルウッドからうまい物をどっさりバスケットに入れて持って来て、それを木の切株や、苔むした木の幹の上にひろげて、愉快に騒ぎながら、とてもおいしくいただいた。それがすむと、みんながっかりしてしまった。
『ここで休んで、ユースタスにいさんに、また何かいいお話をしてほしいなあ、』と子供達の幾人かが言った。
従兄《カズン》ユースタスだって、当然、子供達同様|草臥《くたび》れていた。というのは、この楽しかった午前中に、彼はいろいろと離技《はなれわざ》を演じて見せたのだから。ダンデライアンやクロウヴァやカウスリップやバタカップなどは、パーシウスがニンフ達から貰ったような、翼の生えたスリッパを、ユースタスが履いているのだと、も少しで本当に思い込むところだった。実際この学生は、今し方まで地上にいたかと思うと、たちまちにして胡桃《くるみ》の木の天辺《てっぺん》に上っているようなことが度々《たびたび》あったのだ。すると今度は、胡桃の大雨をばらばらと子供達の頭の上に降らして、彼等は大急ぎでそれをバスケットの中へ拾い集めるのであった。つまり彼は栗鼠《りす》か猿かのように飛び廻ったあとなので、今度は、黄色い落葉の上に身を投げ出して、ちょっと休みたい様子だった。
しかし子供というものは、他人がくたくたに疲れていたって、情《なさけ》も容赦もあるものではない。もしも一息でも吐《つ》く息が残っていれば、それでお話をしてくれとせがむのである。
『ユースタスにいさん、』とカウスリップが言った、『ゴーゴンの首のお話はとても面白かったわ。あれに負けない位のお話を、も一つお出来になりそう?』
『出来るよ、君、』とユースタスは言って、これから仮睡《うたたね》でも始めようかとでもいったように、帽子の庇《ひさし》を目の上までぐっと下した。『あれ位なのは、いや、やろうと思えばもっと面白いのを、一ダースくらいは出来るよ。』
『ねえ、プリムロウズとペリウィンクル、にいさんのおっしゃったこと聞いて?』と叫んで、カウスリップはよろこんで踊り出した。『ユースタスにいさんは、ゴーゴンの首の話より、もっと面白いのを一ダースもして下さるんですって。』
『一つだってするとは言ってやしないよ、この小さなカウスリップのお馬鹿さん!』とユースタスは半分怒ったように言った。『しかし、どうもさせられそうだね。これもあんまり評判を取ったおかげだ! 僕はもっとずっとのろま[#「のろま」に傍点]に生れるか、それとも、天から授った立派な才能を少し隠すかしとけばよかったなあ。そうすれば、静かに、気楽に仮睡《うたたね》も出来たんだが。』
しかし、従兄ユースタスは、私が前にもちょっとそんなことを言っておいたと思うが、子供達が話を聞くのが好きなのと同じように、彼はまた話をして聞かせることが好きなのであった。彼の心は自由な、愉快な状態にあって、それ自身の活動に喜びを感じ、それを働かすのにほとんど外部からの刺戟を必要としなかった。
こうした頭の自発的活動というものは、中年者の、訓練の結果から来た勤勉などとは、まるっきり違ったものだ。というのは、中年時代になると、長い習慣によって、つとめは楽《らく》になり、一日でも仕事を休むと気持が悪いというくらいになる代りに、そのほかのことはぬけがらみたいになってしまうからである。しかし、こんなことはあまり子供達には聞かせない方がいいかも知れないが。
ユースタス・ブライトは、子供がそれ以上せがむまでもなく、次のような実にすばらしい話を始めた。その話は、彼が寝ながら、深々《ふかぶか》と繁った木を仰ぎ見て、秋のおとずれが青葉を悉《ことごと》く純金のように変えてしまった有様をつくづくと目にとめた結果、頭に浮かんだものだった。そしてわれわれのすべてが、始終見ているこの変化は、ユースタスが今から始めるマイダス王物語の中で話したどんなことにも劣らず不思議なことなのだ。
[#改ページ]
何でも金になる話
昔々一人のたいへんなお金持がありました。その方《かた》はおまけに王様で、名はマイダスといいました。この王様には、一人の小さな王女がありましたが、その王女のことは僕のほかに知っている者はなく、その僕でさえ、王女の名はつい聞きもらしたか、或は聞いたにしても、すっかり忘れてしまいました。だから、小さな女の子には妙な名前をつけることの好きな僕は、その王女を仮にメアリゴウルドと呼んでおくことにしましょう。
このマイダスという王様は、世の中の他の何よりも金《きん》が好きでした。彼が自分の王冠を大切に思うのも、主《おも》にそれが金で出来ているからでした。もしも彼が何か金以上に、或はほとんど金と同じ位に、愛していたものがあるとすれば、それは彼の足置台のまわりで楽しく遊ぶただ一人の姫でした。しかし彼は姫を可愛く思えば思うほど、一層お金《かね》が欲しくなるのでした。彼はおろかにも、彼がこの可愛い姫のためにしてやれる一番いいことは、この世が始まって以来、まだ積まれたこともないような、山吹色の、光り輝く金貨の大きな山を、彼女に遺《のこ》してやることだと考えました。そんなわけで、彼は彼の頭と時間との全部を、この一つの目的のために費しました。彼はふと日没の金色の雲に目をとめて、しばらくそれに見入ることでもあれば、それが本当の金であって、彼の金庫の中へ大切にしまっておくことが出来たらどんなにいいだろうと考えるのでした。また、メアリゴウルドが、きんぽうげやたんぽぽの花束を持って、彼の方へ駆け寄って来る時には、彼はいつも、『へん、つまらない、姫や! もしもその花束が見かけ通り本当の金だったら、摘む値打があるんだがね!』と言うのでした。
そのくせ、もっと若い時分、まだ彼がそんなにお金《かね》ほしさの気違いになり切らないうちは、マイダス王も大変草花に趣味を持っていたのでした。彼は花園を造って、そこには誰も今までに見たことも嗅いだこともないような、大きな、美しい、匂いのいい薔薇が植えてありました。その薔薇は、マイダスがいつもそれを眺めたり、匂いを嗅いだりしながら何時間も過ごした時と同様に、大きく、美しく、匂いもそのままに、今もその花園に咲いていました。しかし今では、彼が仮にそれをちょっとでも見るとすれば、もしもその数え切れない程の花びらの一つ一つが薄い金の板で出来ているとして、この花園がどれ位の値打になるだろうと勘定して見るために過ぎませんでした。それからまた、(彼の耳は驢馬のようだったなんて、つまらない噂を立てる人もありますが)、一時彼は音楽を好いたこともあったのですが、今では、気の毒なマイダスにとっての唯一の音楽は、金貨同志がかち合ってちんちんと鳴る音でした。
とうとう(一体人間はだんだん利口になるように心がけないと、必ずだんだん馬鹿になるにきまったものだから)、マイダスは金でないものは、どんなものでも、ほとんど見ることも手にすることもいやだというような、てんで物の分らない人間になってしまいました。その結果、彼は毎日の大部分を、彼の王宮の土台の下の、暗い、淋しい地下室で送るような癖がつきました。彼はそこに金をしまっていたのです。彼は特に幸福になりたい時はいつでも、この陰気な穴の中――というのは、そこは土牢も同然だったから――へはいって行きました。彼はそこで、念入りに扉に錠を下してから、金貨のはいった袋や、洗盤ほどもある金のコップや、重い金の延棒《のべぼう》や、十リットルもある金粉を取り出し、それを部屋の薄暗い隅っこから持ち出して来て、土牢のような窓から射《さ》し込む一筋の、明るい、細い日光に当てて見るのでした。彼が日光を有難く思ったのは、その助けがなくては彼の宝も光らないからだけのことでした。それから彼は、袋の中の金貨をすっかり数えて見たり、延棒を抛り上げて、落ちて来るところを受けて見たり、指の間から金粉をさらさらと落して見たり、それから、コップのつるつるした胴廻りにうつる自分の顔のおかしな映像《かげ》を眺めたりしては、『おう、マイダス、お金持の王様マイダスよ、御身《おんみ》は何という仕合せ者だろう!』と独りでささやいて見るのでした。しかし、彼の顔のかげが、コップのつるつるした表面から、彼に向って歯をむき出して笑ってる様子は、見るも滑稽なものでした。それは彼のおろかな行《おこな》いをちゃんと知っていて、彼を馬鹿にし度《た》がっているようにも見えました。
マイダスは自分を仕合せな人と呼んでは見たものの、まだ自分の望んでいるほど幸福になり切っていないという気がしました。全世界が彼の宝の庫となって、それに全部自分のものである黄金が一杯にでもならなければ、すっかり満足し切るところまでは行かなかったのでしょう。
さて、君達のような利口な子供には、こんなことを言う必要はないかと思うが、マイダス王が生きていた古い古い昔には、今日《こんにち》この国で起ったならば、われわれも不思議だと思うようなことが、いろいろ沢山ありました。その代りにまた、今日《こんにち》のいろいろの出来事のうちには、われわれにとって不思議な気がするばかりでなく、昔の人が見たら目をまるくしてしまうような事も沢山あるでしょう。全体からいうと、昔と今とでは、今の方が僕は不思議な時代だと思う。しかし、それはどうでもいいとして、僕は話を進めなければならない。
マイダス王が或る日例によって、宝の庫にはいって楽しんでいる時、山と積んだ金の上に影がさすのに気がつきました。ふと顔を上げると、これはまたどうしたことか、一人の見たことのない人の姿が、明るい、細い日光の中に立っているのです! それは快活そうな、血色のいい顔をした青年でした。あたりの物すべてが金色を帯びて見えるのは、マイダス王の気のせいか、それとも何かまた原因があるかは知らないが、彼はその見知らぬ人が彼に向ける微笑の中に、一種の金色の光が含まれているような気がしてなりませんでした。たしかに、見知らぬ人の姿が日の光をさえぎっているにも拘らず、積み重ねられたすべての宝が、今では、前よりも一層光り輝いているのです。一番隅っこの方までが、その人がにっこりと笑うと、まるで焔《ほのお》や火花に照らされたように、ぱっと明るくなるのでした。
マイダスは錠前の鍵をちゃんと下しておいたこと、それから人間の力ではとてもこの宝の庫に侵入することが出来ないことを知っていましたので、勿論、この人は人間以上の何者かに違いないと判断しました。その人は誰だったかということは、別にここで言わなくてもいいでしょう。まだ地球が比較的新しい物だったその頃には、男や女や子供達の喜びや悲しみに、半分は冗談に、半分は真面目に、興味を持った、超自然な力を具《そな》えた、神様みたいな人が、よくやって来たらしいのです。マイダスは前にもそんな人に出会ったことがあるので、またやって来られて困ったとは思いませんでした。実際、その見知らぬ人の様子は、慈悲深いとは云えないまでも、たいへん愛想がよく、やさしそうなので、何か悪いたくらみがあって来たのではないかと疑ったりすることは間違っているような気がしました。それよりもずっと、マイダスに好意を持って来てくれたらしい気がしました。とすれば、彼の宝の山をもっと大きくしてやろうという以外に、好意はない筈じゃないかしら?
見
前へ
次へ
全31ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三宅 幾三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング