うしても姫が金になってしまったとは信じられませんでした。しかし、またちらっと盗見《ぬすみみ》すると、やはり黄色い頬に黄色い涙をつけた、大事なわが子の像があるのです。そのいじらしい、やさしい顔附といったら、まるでその表情の力で、きっと金をやわらげて、再びもとの生身《いきみ》に返るに違いないと思われるほどでした。しかし、そうは行きませんでした。だから、マイダスはただ手を揉み絞って、もしも彼の財産を全部投げ出して可愛い姫の顔に少しでももとの薔薇色が返って来るものなら、どんな貧乏人になってもいいと思うばかりでした。
 こうして絶望にあがき苦しんでいた時、彼は見知らぬ人が戸口の傍に立っているのにふと気がつきました。マイダスは頭を垂れて、いう言葉もありませんでした。というのは、それが昨日彼の宝の庫に現れて、何でも金にするという飛んでもない力を彼に授けて行ったのと同じ人の姿だということが分ったからです。その人は相変らず顔に微笑を含んでいましたが、その微笑は部屋中に黄色い光を放って、小さなメアリゴウルドの像や、そのほかマイダスの手に触れて金になったいろんなものを照らしているような気がしました。
『どうです、マイダスさん、』とその人は言いました、『何でも金にする力は、うまく行きましたかね?』
 マイダスは頭を振りました。
『わしはとても不幸です、』と彼は言いました。
『とても不幸ですって、まさか!』と見知らぬ人は叫びました。『それはまたどうしてでしょう? わたしはあなたに対して忠実に約束を守ったじゃありませんか。あなたは心の願いのすべてを得たんじゃないですか?』
『金《きん》さえあればいいというわけにはゆきません、』とマイダスは答えました。『その上、わしは本当に大切に思っていたものの全部を失ってしまいました。』
『ああ! それじゃあなたは、昨日より一つ利口になりましたね?』と見知らぬ人は言いました。『それじゃちょっと訊《き》きますがね。何でも金にする力と、一杯のきれいな、つめたい水と――この二つのうちじゃ、どっちが本当に値打があると思いますか?』
『おう、それはもう有難い水の方です!』とマイダスは叫びました。『ところが、わしはいくら喉《のど》が乾いても、二度と水を飲むことが出来ないのです。』
『何でも金にする力ですか、』見知らぬ人はつづけて言いました、『それとも一片のパン屑ですか?』
『一切れのパンは世界中の金ほどの値打があります!』とマイダスは答えました。
『何でも金にする力ですか、』見知らぬ人はまた訊きました、『それとも一時間前のような、暖い、やわらかい、愛情のある、あなたの小さなメアリゴウルドですか?』
『おうそれはわしの子、わしの可愛い子にきまっています!』と気の毒なマイダスは、手を揉み絞りながら叫びました。『この大きな地球全体を金のかたまりにしてしまうような力と取りかえようと言われても、わしはあの子の頤《あご》にある小さな靨《えくぼ》一つもくれるんじゃなかった!』
『あなたは前よりも賢《かしこ》くなりましたね、マイダス王、』と見知らぬ人は、真面目な顔になって言いました。『なるほど、あなたの心までが、まだすっかり肉から金になってしまっていたわけではなかったんですね。もしもそうなっていたら、あなたは本当にもう見込みはなかったでしょう。しかしあなたはまだ、誰の手でも届くような所にある極く平凡なものの方が、大勢の人達がそれをほしがって溜息をついたり、争ったりしている財宝よりも貴いのだということがお分りのようですね。さあ、あなたは心底《しんそこ》から、何でも金にする力を捨てたいと思っているのか、それを聞かして下さい。』
『何でも金にする力なんてもういやです!』とマイダスは答えました。
 蠅が一匹彼の鼻にとまったと思うと、すぐ床《ゆか》に落ちてしまいました。それもやはり金になってしまったからでした。マイダスはぞっと身ぶるいしました。
『では、あなたの庭の下をしずかに流れているあの川へ行って、水に飛び込みなさい、』と見知らぬ人は言いました。『それと一しょに、あそこの水を瓶《かめ》に一杯持って来て、何でも金から再びもとの物にしたい思うものにふりかけなさい。もしもあなたが本気で心からそうすれば、あなたの欲ばりから起ったわざわいを、もとに返すことが出来るでしょう。』
 マイダス王は低く頭を下げました。そして彼が顔を上げた時には、もうその光り輝く人は消えてしまっていました。
 マイダスがすぐさま大きな土焼の瓶を取り上げて(しかし、ああ! それも彼がさわったらもう土製ではなくなりました)、川へ急いだことはすぐ君達にも分るでしょう。彼が駆けながら、灌木の間を押分けて行くと、ほかはそうでないのに、彼の通ったあとだけが、秋が来たように木の葉が黄色くなって行く有様を見ていると、全く不思議な気がしました。川の縁まで行くと、彼は服を脱ぐ暇も待たないで、頭から飛込みました。
『プーッ、プーッ、プーッ!』と、マイダス王は水から頭を出して鼻を鳴らしました。『なるほど、これは気持のいい行水だ。これですっかり、何でも金にする力を洗い落としてしまったに違いないと思う。さて、これから瓶一杯に水を入れるとしよう!』
 彼は川の水に瓶を浸《つ》けた時、彼がそれを手にする前の通りに、金から立派な、ほんものの土焼の器《うつわ》になったのを見て、心からうれしく思いました。彼はまた、自分のからだにも変化を覚えました。冷たく、固く、のしかかって来るような重みが、彼の胸から消え去って行くような気がしたのです。きっと彼の心臓も、だんだんと人間らしい性質を失って、死んだ金に変りかかっていたのですが、今度はまたもと通りのやわらかい肉に返ったのでしょう。川の岸に生えている菫の花を見つけて、指でちょっとさわって見ましたが、もう黄色に変ってしまうようなこともなく、その可憐な花が紫のままだということが分ったので、マイダスは飛び立つばかりに喜びました。つまり、さわれば何でも金になるという厄介な力が、本当に彼から無くなったのでした。
 マイダス王は王宮へ急いで戻りました。召使達は、陛下が土焼の瓶に一杯水を入れて、大切そうに持っておいでになるのを見た時、さっぱりわけが分らなかったことだろうと思います。しかし、彼のおろかさから来たわざわいのすべてをもと通りにしてくれる筈の、その水は、マイダスにとっては熔《と》かした金の海よりも貴かったのです。彼が先ず最初にしたことは、云うまでもなく、その水を手に一杯すくっては、小さなメアリゴウルドの黄金像にふりかけることでした。
 彼女に水がかかると、みるみる姫の頬に薔薇色が返って来るやら――くさめをしたり、ぺっぺっと水を吐いたりし始めるやら――自分がびしょ濡れになっているのに、まだお父さんが水をぶっかけているので、びっくりするやらで――君達がその有様を見ていたら、噴《ふ》き出してしまったことでしょう!
『ほんとに止《よ》して頂戴、お父さま!』と彼女は叫びました。『あたしが今朝着たばかりのいい洋服を、こんなにびしょびしょにしてしまったじゃないの!』
 というのは、彼女は小さな黄金像になっていたなんてことは知らなかったし、また、気の毒な父を慰めようとして、腕をひろげて、駆けて行った瞬間から、あとはもうどんなことが起ったのか、なんにも覚えがなかったからでした。
 彼女のお父さんは、可愛い娘に、自分がどんなに大馬鹿だったかをわざわざ話す必要もないと思ったので、今ではどんなに賢くなったかを見せるだけにしておきました。そうして賢くなったところを見せるために、彼はメアリゴウルドを庭へつれて行って、残りの水をすっかり薔薇の藪の上にふりかけました。するとその利目《ききめ》がとてもよくあらわれて、五千以上の薔薇の花が、もと通り美事に咲き匂いました。しかし、死ぬまでマイダス王に、何でも金にする力を思い出させたものが二つありました。その一つは、庭の下を流れる川の砂で、いつまでも金のように輝いていました。他の一つは、今では金色になっているメアリゴウルドの髪の毛で、彼の接吻の力で彼女が金になるまでは、そんなことはなかったのでした。この色合《いろあい》の変化は、本当に前よりもよくなったというもので、メアリゴウルドの髪を赤ちゃんの時よりも立派に見せました。
 マイダス王は、すっかりいいおじいさんになって、いつもメアリゴウルドの子供達を膝にのせて、ぴょんぴょんさせたりしながら、この不思議な話を、僕が今君達にしたのと大体同じように、話して聞かせるのが好きでした。そのあとで、いつも彼は孫達のつやつやした巻毛を撫でながら、だからお前達の髪もお母さんの筋を引いて、やっぱり豊かな金色をしているんだよと教えるのでした。
『そして、本当のことを言えばね、わしの可愛い孫達、』と、しきりにその間も子供を膝の上でぴょんぴょんさせながら、マイダス王は言うのでした、『その朝からというものは、わしはこのほかの金色のものはすべて、見るのもいやになってしまったんだよ!』
[#改ページ]

     シャドウ・ブルック
       ――話のあとで――

『どう? 君達、』と、聴手《ききて》からはっきりした意見を引出すことの好きなユースタスは尋ねた、『生れてから、この「何でも金になる話」よりもいい話を聞いたことがある?』
『だって、マイダス王の話なんて、』と、生意気なプリムロウズが言った、『ユースタス・ブライトさんが生れる前から、何千年も有名だったんだし、また、にいさんが死んだあと何千年でもやっぱり評判は落ちないでしょう。しかし、世の中には「何でも鉛にする力」といったようなものを持っていて、その人の手にかかったら、どんなものでも退屈で、面白くなくなるってこともあるわねえ。』
『まだ年も行かないのに、君はなかなか辛辣《しんらつ》だね、プリムロウズ、』と、ユースタスは彼女の批判のきびしさに驚いて言った。『でも、いくら意地悪の君だって、僕がマイダスの古い金をすっかり新しく磨き上げて、それを今までになく光らせたということは、十分わかるだろう。それから、メアリゴウルドの像なんかはどうだい! その辺がなかなかのお手際だとは思わない? そして、この話に含まれた教訓も、僕は大変うまく出して、それをまた深めたと思っているんだが。スウィート・ファーンやダンデライアンやクロウヴァやペリウィンクルの意見はどう? この話を聞いても、君達のうちには、何でも金にする力がほしいなんていうような馬鹿がいるかしら?』
『あたし、右の人さし指で何でも金にする力があって、』と十歳《とお》になる女の子のペリウィンクルが言い出した、『その代り、金にしたものが気に入らなかったら、左の人さし指で、もと通りにすることが出来るといいと思うわ。そしたら、今日のお昼からでも、早速やって見たいことがあるんだけど!』
『どんなことか聞き度《た》いもんだね、』とユースタスは言った。
『だって、』とペリウィンクルは答えた、『あたし左の人さし指で、この辺の金色になった木の葉をみんなさわって、すっかりもとの緑にして見たいんですもの。そしたら、いやな冬なんかその間になくて、すぐまた夏になるでしょ。』
『おう、ペリウィンクル!』ユースタス・ブライトは叫んだ、『そりゃ君間違っているよ、そしていろいろ困ったことが出来るよ。僕がもしマイダスだったら、今日のような金色の秋の日を幾度でも繰り返して、一年中つづくようにするほかは、なんにもしたくないね。僕のいい考えは、いつもあとになって浮かぶんでね。僕はどうして、マイダス王が年取ってからアメリカへ来て見て、ほかの国に見るような陰気な秋を、この辺のような輝くばかりの美しい姿に変えたということにしなかったんだろう? つまり彼が自然という大きな書物の頁《ページ》を金色に塗り上げたという風にね。』
『ユースタスにいさん、』とスウィート・ファーンが言った。彼は可愛い小さな男の子で、巨人《ヂャイアント》の身の丈《たけ》は正確にいうといくらあったかとか、妖精《フェアリ》が小さいと
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