ぐその次には、三つも頭のある、おそろしい犬になって、ハーキュリーズにむかって、唸ったり吠えたりして、つかまえている手に、はげしく咬みつこうとしました! けれどもハーキュリーズは放そうとしませんでした。三つあたまの犬から、すぐにまた何になったかというと、あの六本足の怪人ヂェリオンで、つかまえられている一本を振放そうとして、五本の足でハーキュリーズを蹴りました! しかしハーキュリーズは、やっぱりつかまえていました。やがてヂェリオンの姿が見えなくなって、今度は、ハーキュリーズが赤ちゃんの時締め殺したのに似た、しかしその百倍もあろうかと思われる大きな蛇になりました。それは彼の頸や胴にぐるぐると巻きついて、尻尾を高く振上げ、彼を丸呑みにでもしそうな風に、おそろしい口をあけました。だからそれは本当に大変おそろしい有様でした! それでもハーキュリーズは少しもおそれず、その大きな蛇を、うんときつく握り締めましたので、まもなくそれは苦しがって、しゅっしゅっというような声を出して鳴きはじめました。
ここでことわっておき度《た》いのは、その「海の老人」は、まるで波に打たれた船首像みたいでしたが、なんでも好きなものに化ける力を持っていたということです。彼がハーキュリーズにそんなに手荒くつかまえられていたと知った時、その魔力でいろんなものに化けて、彼をおどかし、こわがらせて、さっさと手を放させてやろうと思ったのでした。もしもハーキュリーズが手をゆるめていたならば、「老人《オウルド・ワン》」はきっと海の底へもぐり込んでしまって、一旦そこへはいってしまったとなると、ぶしつけな質問などに答えるためにわざわざ浮き上って来てくれるなんてことは、なかなか無かったでしょう。百人のうちの九十九人までは、僕が思うのに、彼が最初いやなものに化けた時に、もうすっかりたまげてしまって、早速逃げ出したことでしょう。というのは、本当の危険と、ただ危険そうに見えるだけのものとを見分けるということは、この世の中で一番むずかしいことの一つですから。
しかし、ハーキュリーズがどうしても手をはなさず、「老人《オウルド・ワン》」がいろんなものに化ける度《たび》によけいに強く締めつけて来て、本当に随分痛い思いをさせられたので、彼もとうとう、もとの自分の姿になるのが一番いいと思いました。そこで彼は再び、さかなみたいで、うろこがあって、足にみずかきがついていて、頤に一束の海藻みたいなものが生えた人間の姿に返りました。
『一体、あなたはわたしにどんな御用があるんです?』「老人《オウルド・ワン》」は息がつけるようになるとすぐ、そう叫びました。というのは、そんなにいろいろほかのものに、次から次へと化けることは、まったく骨の折れる仕事でしたから。『どうしてわたしをそんなにきつく締めつけるんです? すぐ放して下さい、でないと、あなたを非常に失礼な人だと思いますよ!』
『僕の名はハーキュリーズというのだ!』と、力持の見知らぬ人は割れるような声で言いました。『君がヘスペリディーズの庭への一番の近道を教えてくれるまでは、決して手を放してやらないぞ!』
老人は彼を押《おさ》えている人の名を聞いた時、これはもう彼の知りたがっていることは何でも教えないといけないということを、すぐにさとりました。前にも言ったように、「老人《オウルド・ワン》」は海に棲んでいて、ほかの、海で暮らす人達と同じように、どこでも歩き廻っていました。勿論、彼はハーキュリーズの評判は度々聞いていて、彼が世界の至る処で常にすばらしい事をやっていることや、彼が一旦やろうと思った事は必ず思切ってやるということを知っていました。だから彼はもう逃げようなどとはしないで、その勇士に、ヘスペリディーズの庭への道を教えた上に、彼がそこへ行きつくまでに切り抜けなくてはならない、いろんな困難についての注意までもしてやりました。
『あなたは、こう行って、こう行かなくてはなりません、』と、「海の老人」は方角をしらべてから言いました、『するとおしまいに、大空を肩にしょって立っている大変背の高い巨人が見えてくるでしょう。そして、その巨人は、もしも、上機嫌だったら、ヘスペリディーズの庭がちょうどどの辺にあるか、あなたに教えてくれるでしょう。』
『そして、もしもその巨人が機嫌の悪い時にぶっつかっても、』と、ハーキュリーズは彼の棍棒を、指の先に、天秤みたいに平均をとって乗せながら言いました、『多分僕は、何とかして彼に言わせるよ!』
「海の老人」にお礼を言い、又彼をあんなに乱暴に締めつけたことを詫びて、その勇士はまた、旅をつづけました。彼は実に沢山の変った冒険に出遇いました。それは詳しく話す値打があるもので、もしもそうしている時間さえあれば、君達にも十分聞きごたえがあると思うのですが。
神様が実にうまく工夫して、地べたにつく度に前より十倍も強くなるという、おそろしい巨人をおつくりになっていましたが、ハーキュリーズがそれに出くわしたのは、たしかにこの旅行の時でした。その巨人の名前は、アンティーアスといいました。そんな男と闘《たたか》うのは大変面倒なことだということは、君達にもよく分るでしょう。というのは、彼は相手がそっとしておいてくれるよりも、度々なぐり倒してくれた方が、一層強く、きつく、武器を使うことも上手になって、起き上れるというわけなんですから。そんなわけで、ハーキュリーズが彼の棍棒で、その巨人をひどくなぐり倒せばなぐり倒すほど、勝つ見込みがなくなってくるような気がしました。僕はちょうどそんな風に、やっつけられればやっつけられるほど、一層いきり立って来るような人と議論をしたことは時々あるが、なぐり合いをして見たことはありません。さて、ハーキュリーズが、これならばこの喧嘩に勝てるということが分ったのは、アンティーアスの足が地べたにつかないようにさし上げて、そのまま彼を締めて締めて締め抜いて、とうとうおしまいに、彼の大きなからだから、力をすっかりしぼり出してしまうという手一つでした。
この闘《たたか》いに勝つと、ハーキュリーズは旅をつづけて、エジプトの国へ来ました。そこで彼はとりこになりましたが、もしもその国の王様を倒して、逃げ出していなかったら、彼の方が殺されてしまうところでした。アフリカの沙漠を通り抜けて、一生けんめい道をいそぐうちに、彼はとうとう大きな海の岸へ出ました。そして、ここまで来ると、大波の頭の上でも踏んで行けない以上は、当然彼の旅もおしまいになりそうでした。
彼の前には、泡立ち、湧き返る、かぎりない大海のほか、何もありませんでした。しかし、彼が水平線の方を見ると、ずうっと遠くに何か、ふと目についたものがありました。それは大変きらきらと輝いて、まるでちょうど地のはてに、昇るか落ちるかする円い太陽を見るようでした。それはたしかに、だんだんと近づいて来ました。というのは、この不思議な物は、刻一刻と大きくなり、光を増してくるからです。とうとうそれが大変近くなったので、ハーキュリーズは、それが金か又はよく磨いた真鍮で出来た、大きなお椀かお鉢だということが分りました。それがどうして海へ流れて来たかということは僕も知りません。とにかく、それは立騒ぐ大波にもまれていました。しかし波はそれを上下にゆりうごかして、泡立った波頭《なみがしら》がその胴にぶっつかって盛《も》り上がるだけで、しぶきは決してそのお椀の縁を越えることはありませんでした。
『僕は今まで 沢山の巨人を見て来た、』とハーキュリーズは考えました、『しかし、こんな大きな椀で酒を飲まなければならないほどの巨人を見たことはない。』
そして、本当に、それはどんなに大きな椀だったことか知れません! それはとても――とても大きくて――いやしかし、つまるところ、僕はそれがどんなに途方もなく大きかったかを言いかねる位です。内輪にいっても、それは大きな水車の輪の十倍もあったでしょうか、そして、全部が金《かね》で出来ていたにも拘らず、小川を流れていくどんぐりの皿よりももっと軽々《かるがる》と、盛《も》り上がって来る磯波の上に浮かんでいました。波がそれをごろごろ転《ころ》がすように押して来て、とうとう、ハーキュリーズの立っているすぐ近くの岸に、その底がつきました。
そうなるとすぐに、彼はどうすればいいかが分りました。というのは、彼は今までに幾つとなくめざましい冒険を仕遂げて来たので、何か少しでも普通と違ったことが起った時には、いつでもそれに応じた処置のとり方を相当よく心得ていたからです。このおそろしく大きな椀が、ハーキュリーズを乗せて、ヘスペリディーズの庭へと海を渡って行くために、何か目に見えない力によって海に浮かべられて、こちらへ流されて来たのだということは、火を見るよりも明らかでした。そこで、すぐさま、彼は縁を乗り越えて、その中にすべり込み、そこに獅子の皮を敷いて少し横になって休むことにしました。彼はあの川の縁で娘達に別れてからというものは、今までほとんど休まないで来たのでした。彼はうつろな椀のまわりに、こころよい、響のいい音を立ててぶっつかりました。椀は軽くゆらゆらと揺れて、その動揺があまりいい気持なので、ハーキュリーズは揺られながら、たちまちこころよいねむりにさそわれて行きました。
彼のうたたねが相当長くつづいたと思ううちに、彼の乗っている椀が、一つの岩に触れて、そのために、金か真鍮か、とにかくその椀が出来ている金《かね》が、たちまち、どんなに大きな音をたてる教会の鐘よりも百倍も大きく鳴りひびきました。その音で目をさましたハーキュリーズはすぐ立上って、どこへ来たのかと思って、あたりを見まわしました。彼はやがて、その椀が海を大方渡ってしまって、どこかの島らしい海岸に近づいていたことを知りました。そしてその島に、彼が何を見たと君達は思いますか?
いいえ、なかなか見当がつかないでしょう。たとえ五万たび言って見たところで、当らないでしょう! 僕にもこれは断然、彼の驚くべき旅と冒険との全行程のうちで、ハーキュリーズが今までに見た一番驚くべき光景だったと思われます。それは、切られるとすぐ倍になって生えて来る九つの頭を有《も》ったハイドラよりも、あの六本足の怪人よりも、アンティーアスよりも、ハーキュリーズの時代より前に、或は後に、誰が見たどんなものよりも、またこれから先ずうっと次から次へあらわれて来る旅行者が見るかも知れないどんなことよりも、更に驚くべきものでした。それは一人の巨人でした!
しかし、お話にもなんにもならないような巨人だったのです! 山のように高い巨人で、あまり大きいので、雲がおおよそ彼の腰のあたりにかかって、帯をしめたように見えたり、白いあごひげみたいに頤の下にかかったりしました。また彼の大きな眼の前も通って行くので、彼はハーキュリーズも、その乗っている金色の椀も見えませんでした。それに、何よりもおどろくべきことには、その巨人は彼の大きな手をさし上げて、空を支《ささ》えているらしいのです。ハーキュリーズが雲をすかして見たところでは、空は彼の頭に乗っていました! これは実際、話が大きすぎて、ちょっと信じられない気がするくらいですが。
その間に、きらきら光った椀は、前へ前へと流れて、とうとう岸に着きました。ちょうどその時、風が巨人の顔の前から雲を吹きのけたので、ハーキュリーズはとても大きな目鼻立ちをしたその顔を見ました。両方の眼はそれぞれ向うの湖ほどもあり、鼻の長さは一マイル、それから口の幅も同じくらいありました。それは何分にも大きいので、恐しくはありましたが、何だか厭《いや》になってしまったような、疲れ切ったような顔でした。自分の力以上のものをかつがされている人を、今日《こんにち》でも君達はよく見るでしょうが、まああんな顔と思っていいでしょう。その巨人にとっての空は、ぺしゃんこにされてしまいそうになって苦しんでいる人達にとっての地上の苦労とちょうど同じでした。そして、人は自分の柄にもないことをすれ
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