して來た時は、先生は大なる災厄を免れた氣持がして、平生の無精に似ず自ら少年の許へ電話を掛けてその旨を通じて、さうして始めて安心した。
それから後しばらく、自分は會社の用事で地方へ旅行して歸つて來てからも、少年には成るべく會ひ度くないと思ひながら何時の間にか夏を迎へたのである。暑い暑い大阪の貧乏下宿の二階で汗を流して暮してゐると、豫て惱み勝だつた持病が堪へ難い容體になつて來た。それに船や車で旅をして來た事も、平素たしなむ酒の應報《むくい》もあつたのであらう、しまひには會社で机にむかつてゐるのが苦しくなつて來た程、病氣は加速度で進行した。たうとう我慢し切れなくなつて休暇を貰つて數日中に東京へ歸り、入院して治療を受けようと考へてゐた。
ところへ、日曜の朝であつたが、家中の疊にさし込む強烈な夏の日光に、頭の先から足の尖《さき》迄汗を流して、いとど病氣の身をもてあましてゐると、突然少年がやつて來た。しかも彼は一人でなく、年配の婦人を伴つて來た。
「お母さんをつれて來ました。」
と挨拶する迄も無く、一見して親子とわかる目鼻立の母親に面して、先生は愈々豫感してゐた迷惑な舞臺に身を置く事になつた
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