《つきあ》つて行くのであつた。殊に先生は曾て少年の日に於ては目前の少年と同じく、藝術家の生活といふものを一種特別の高尚なものだと思ひ違へて憧《あこが》れた事もあつたが、つかず離れずの態度ではあるが何時《いつ》かしら其の仲間に入《はい》つて見ると、尊敬の的だつた藝術家といふものも、意外にも下劣卑賤な人間が多く、中には幇間《たいこもち》にも劣る連中を發見して忽ち愛想をつかしたのであつた。
「君が結構なものだと思つてゐる文士だつて、君が愚劣がる會社員と同じものですよ。」
 自分は例によつて少年の浪漫主義に水をさした。
 けれどもこれが必ずしも先生の臆病とばかりは云はれないのである。先生はほんとに自分の見聞の範圍内に於て、ほとほと文士といふものに愛想を盡かしてゐるのである。投書雜誌と交互になれ合つて、田舍の投書家に媚びる事を專門にする賣名專門の徒、黨同伐異を事とし、わけもわかりもしない癖に白痴脅《こけおどか》しの知つたかぶりで、一押二押三押で押の強味で横行してゐる輩、役人役者芝居者を取卷いて飮んでゐる連中、嫉妬深くて奸譎で、得手勝手で愚癡つぽく、數へれば數へる程面白くない卑賤民の仲間のかくいふ
前へ 次へ
全23ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング