のおやぢの姿を、憎惡の念を抱かずに思ひ出す事は出來ないのである。
 或時或席で右の「笈摺草紙」を買ひそこなつた話をした。すると其處にゐた友人梶原可吉君は、その話に誘はれて、彼の購書苦心談を彼一流の高調子で始めた。その中で泉先生の「日本橋」についての一節を、自分は此處に傳へようと思ふ。
 梶原君は常に若々しい心を失はない熱情家で、且社會改良に熱心な理想家である。當然の歸結としてその愛好する藝術は或種の傾向の著しいものに限られてゐる。泉鏡花先生の作品に現れてゐる道徳――ありふれた世間の血の氣の無い道徳ではなく、先生の熱情に育くまれた道徳――は彼が隨喜し、先生の主張される義理人情の世界、戀愛至上主義は即ち彼が涙を流して渇仰するところである。
 大正三年の秋彼は滿洲大連で、面白くも無い殖民地の人間に圍まれて、面白くも無い月給取の生活を送つてゐた。一日の勞務が終ると、寄食してゐる叔父の家に歸り、入浴して晩餐の卓にむかふのであるが、恰も殖民地に特有なもののやうに思はれる苛々《いら/\》した心状を免れる事は出來なかつた。彼は夕暮を待つ蝙蝠のやうに、日が沈むと家を出て散歩するのが癖になつた。
 夕暮の
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