い。どうしても値切らなければ恥辱だと思つたのである。
 自分はそれを八錢に値切つたのか六錢に値切つたのか四錢に値切つたのか忘れてしまつたが、兎に角値切つたのである。いかにも古本は買馴れてゐるやうな顏付をしたのだつたらうと思ふ。
 茶色の釜形の帽子の中に目も鼻もかくれてゐて、色の褪めた毛糸の襟卷に顎を埋めながら身動きもしないで煙草を飮んでゐた古本屋のおやぢは、烟管をはたくのも不性つたらしい奴であつたが、
「まかりません。」
 と不機嫌な取付場の無い返事をして、又烟管をくはへた。
 未練らしく押問答をした後で、おやぢの傲岸な態度は一層自分の立場をやりきれなくしてしまつた。今更それを買ふ事は出來なくなつてしまつたが、此の一册を手に入れなければ永久に「笈摺草紙」は手に入らないやうに思はれた。それでも自分の見榮を張り度いけちな根性は、自分をしてさもそんなものは入《い》るものかといふやうな態度を執らせてしまつた。
 立上つて勢ひよく歩き出したが、どうしても思ひ切れなかつた。ふりかへつて見ると、おやぢは何處を風が吹くといつた風をして煙を吹いてゐるのであつた。
 癪に障つて堪らないので、往來の石つころ
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