はちつとも高いとも思はなかつた。
その上自分は金錢について細かく云々する事を卑しむやうな教育を我家で受けて居たので、どんな物でも値切るのを恥ぢる習癖を持つて居た。直ぐに言ひ値で買はうとした。
ところが丁度自分と同じやうに其處にしやがんで、先刻から古雜誌を引繰返して居た一人の男があつた。商家の若僧らしかつたが、古本屋のおやぢが自分にむかつて十二錢だと答へた時、
「十二錢? 馬鹿にしてやがら、こんな古雜誌。」
と横合から如何にも人を馬鹿にするなといふ語氣で云つて、目深くかぶつた鳥打帽子の下に暗い顏をふり向けて同意を求める目付をした。自分は思はず知らず財布にかけた手を放した。
勿論その若僧は彼自身も買手であるといふ共同の利益の爲に自《おのづか》ら義憤を發したのであらう。けれども自分に取つては彼の一言は手痛く胸に響いた。「笈摺草紙」の十二錢は自分の主觀的價格からみればおい夫《それ》と支拂つて差支へないけれども、客觀的價格からみれば成程人を馬鹿にした者に違ひない。見榮《みえ》坊の東京の人間の弱味が自分をして前後の分別も無くなさしてしまつた。人前で他人に馬鹿にされる事は何よりも我慢が出來な
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