と心配になる。殷鑑遠からず所謂鏡花會の人々の中などには鼻持ちもならぬ氣障《きざ》な代物《しろもの》が多いさうである。
泉先生の作品の愛讀者には先生の作品の全部を集めて所藏しなければ承知しない人の多いのも、先生の作品の魅力の異常なる事を示すものである。或人々にとつては、その作品に對する欽慕は屡々戀に等しい。自分の如きも其の一人である。
「外科室」「夜行巡査」の昔から最近に到る迄の夥しい小説戲曲小品隨筆を、單行本雜誌新聞等に初めて現れた形式でひとつも殘らず取揃へる事は殆ど不可能に思はれる。明治三十四五年頃から心掛けて、今日に到つて到底駄目だと思つた。
自分が泉先生の作品を愛讀し始めたのはそれよりもずつと前であるが、丁度中學の二年時分から學校へ通ふ往復に、三田通の書店福島屋の店頭に一日も缺かさず新刊の出るのを待暮して通つた。けれども自分がまだお伽噺を讀んで居た時代に出た單行本又は雜誌に掲載されたものを手に入れるのは、非常なる根氣と時間とを要する爲事であつた。
「新小説」「文藝倶樂部」「新著月刊」「小天地」といふやうな一流の文藝雜誌に掲載されたものは大凡手に入《はい》つたつもりでゐた。とこ
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