それはもつと本質的なもので、即ち作者の經驗する感情――泉先生の場合には主として憧憬と反抗に根ざす――を讀者に移入し、作者の形造る感情世界に全然引入れてしまふ驚く可き魅力にある。勿論先生の作品に特有の構造、形式、色彩、音色の調整が此の使命を果す爲めに與かつて力ある事は疑ひも無いが、先生の作品が他に類例を見ない程讀者の心に影響する力を持つてゐるのは、主として先生の持つて居られる至純の感情の爲めである。
 先生の作品が永久性を帶びてゐるのは、單に一時代の思潮流行と隔絶して居るからだと消極的に論じるのは誤りで、それはその作品の内に含まれて居る至純の感情が、永遠に人の心の底に潛んで居る事實に歸す可きである。何れにしても先生の作品の稀有なる魅力は、内面的にも外面的にも、讀者に與へる感化力は偉大である。自分は倦怠と憂鬱に世の中も人間も厭はしくばかり思はれた頃、先生の作品によつて眠つてゐる感情を喚醒《よびさ》まされ、生甲斐のある世界を見出した一人である。同時に自分は、作品に現れてゐる先生の惡い趣味――例之月並な惡ふざけ、安價な芝居がかり、感服出來兼る江戸がり――などの感化を受ける人間がさぞ多い事だらう
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