給ではあるが、貰つた其日に殆どすべて飛んでしまつた事を思ふと殘念で堪らなかつた。それからそれと自分の平生の生活から、大連なんかに來てゐる身の上迄考へながら、アカシヤの並木の下を彼は悄然として叔父の家に歸つた。
 福島屋に宛ては早速催促状を出したが、町角の本屋へ通ふ事は矢張り止められなかつた。晝の間會社の事務室の机にむかつても、誰かが「日本橋」の殘りの一册を自分から奪つて行く不安が胸中を往來した。どうせ遲くとも福島屋から送つて來るには違ひないと考へても、いつたん執心を掛けた町角の本屋の「日本橋」を、自分の讀まないうちに先きに誰かに讀まれてしまふ事が面白くなかつた。
 福島屋からの送本は何時來るだらう。一圓二十錢の金が欲しい、月給日が早く來てくれればいいといふ事を繰返し繰返し考へながら、毎日彼は町角の本屋に通つた。その道筋の川にかかつてゐる橋の名の日本橋といふのさへ自分を嘲笑する爲めに名づけられたもののやうに思はれた。
 本屋の店頭に立つて、まだ殘りの一册が無事に書棚の上のがらくた本の間に積まれてゐるのを見て一先づ安心して家に引返へすのも、二週間過ぎ三週間過ぎ、たうとう一月《ひとつき》近く
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