綺麗な表紙も何時《いつ》の間にか手擦れ垢じみて來たやうに思はれた。
「自分の手垢で汚したのかもしれないが、その時はなんだか他人《ひと》も自分のやうに『日本橋』に思ひをかけてゐるやうに思はれて爲方がなかつた。」
 と此話をした時に、梶原君は附加へて説明した。
 彼は毎日徒らに手に取上げては又もとの書棚にかへす「日本橋」に不思議な愛着を感じて來た。あてにならない福島屋の送本を待つてる間に、殘つた一册も賣れてしまつたらどんなに寂しいだらうと考へた。大連みたやうな下等極まるところにも我が泉先生の作品を讀む奴がゐるのだから油斷は出來ない。どうしてもこれは自分が買つてしまはうと思つた。本は必ず福島屋ときめてはゐるのだが、そんな事は云つてゐられない位殘りの一册は彼の心を離れなくなつてゐた。
 さうだ買はうと決心した時、梶原君は懷中殆んど無一文だつたなさけない事實を思ひ出した。
「どうしてあれ程貧乏だつたのか、兎に角五十錢もなかつた。」
 と羞しがりの梶原君は、今でも顏を赤くして云ふのである。
 幾度見直しても定價金一圓二十錢といふ奧附は變らなかつた。此時程無駄づかひを悔いた事はなかつた。勿論乏しい月
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