描きたる話の筋道はわが脚色に過ぎず。初めその友の若くして頗る無邪氣なる道徳家なりし事にわが同情は催されしが、稿成りし時予に殘りしものはなすべからざる事を爲したる事を悔ゆる念のみなりき。
予は自らも餘りに我儘にして人づき惡《あし》き事を知れど、不思議にもわが我儘を許して長く變らぬ僅少の親しき友を有せる事を思ふ毎に限り無く嬉しき心地して胸の躍るを覺ゆ。「ものの哀れ」の松波冬樹はわが中學時代の無二の親友なりき。彼は彼《か》の作中に描きし如く壹岐の島に生れたる少年にして、頗る氣性烈しく狷介の性は他の多くの少年の寧ろ憎むところなりしが、予にとりては又なく親しき友なりしかば、恰も物の哀れを知る頃のわれ等は共に好める詩歌を誦するにも感極まりて屡々泣きぬ。
その後彼は二度目の落第に氣を腐らし朝鮮京城に在りし姉なる人を頼りて行きしが、韓《から》の風は寒かりけん、間も無く肺を病みて吐血し、日本に送り還されて暫時《しばらく》諸處の病院に在りし後明治三十九年十二月二十一日彼の最も嫌ひなりし大阪の地に死にぬ。
「賢さん」の一篇は亡き友田中憲氏と予との交友をありのままに記せり。予は何故か此の一篇を小説と呼ばる
前へ
次へ
全14ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング