の要なき事なれど、茲にわが作品に就きて少しく自註を加へんと欲す。

 生れしは麻布の高臺なりしが、幼くして我が家芝にうつりたれば、其邊に住みし人など多く我が記憶に殘るものなきはもとよりなれど、或日或時わが目に映じたる街の樣の不思議にも明かに思ひ浮べ得るまま、處女作「山の手の子」の舞臺を其處にとりたるなり。唐物屋の頭禿げし亭主の顏今も忘れず、繪草紙賣る店に屡々通ひしも事實なれど、その他の人はお鶴はもとより煙草屋の姉弟《きやうだい》も皆我がほしいままに描き出せる架空の人物に過ぎざるなり。
「ぼたん」の中の人々は今も世にある人にして、彼の一篇のみはまさしく我が幼き日及び我が見たる人の身の上を筆に上《のぼ》せたるものなるが、我が性質として後に至りよしなき事をしたりと思ふ心強く予を責むるものありき。此の一事を以て予は彼の作品を嫌ふ。
「うすごほり」に就きても亦些かはかかる念ひあれど、お澄さんは彼の小説に書きし如き身の上の人にあらざりし事を記さん。
「その春の頃」は我が作中就中拙きものなるが、彼の作は我が親しき友の身の上にありし事をその友の口より聞きし時話に醉ひて直に筆執りしものなれども、もとより
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング