する憧憬の、殆んど我が半生を切放して考ふる事能はざる程に思はるるまま、默してあらん事堪へ難き心地すれば些かは茲に記して自ら慰まんと思ふなり。

 泉鏡花先生は我が死ぬ日迄恐らくは變る事なく予に取りて懷しくありがたき御方ならん。初めて先生の御作の我が心に沁みて消えぬ思ひ出となりしは、其の頃「文藝倶樂部」に連載せられし「誓之卷」なりき。その卷を開く手も打震へつつ涙流して幾度は繰返しけん。遂には彼處此處《かしここゝ》暗《そら》んじたりしが、其後先生の御作にして我が目に觸れしもの一として讀み落したるものもなく、古きをもあさり求めしかば、我が友の一人はたはむれに我が先生の御作納め居る本箱を指して「鏡花文庫」と呼びたり。
 いづれ劣りはなきが中にも「照葉狂言」は予の最も好みたるものにして、又今も變らず好めるものなる事ついでなれば記しつ。われ世の中の如何に尊き人賢き人にも逢ひ見度き願ひなけれど、先生にばかりは一度御目にかかり、先生の御作によりてこの年月いかばかり心なぐさみしかを聞《きこ》えあぐる機會のあらば嬉しからんと十年《ととせ》に過ぎて思ひて變らず、未だ中學に通ひし頃なりしが「泉鏡花先生の御作に
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