知れる話なれば誰人より聽き覺えしかを知らざれども、松山鏡落窪物語鉢かづき姫などは、我が祖母我が母の懷に眠りつつ幾度となく語られしものなれば、そのかみの若かりし母の聲さへまざまざと耳に殘りて、其の折物語の悲しさに涙流せし心地の今もわびしく思ひ出でられては返らぬ日のいとせめて戀ひしきもはかなし。
 その祖母なる人はものの記憶よかりし人にて「八犬傳」など芳柳閣の邊迄|暗誦《そら》んじ居て、求むれば何時も高らかに誦《ず》して聞かせ給ひぬ。「平家物語」の幾章も亦かくしてわれは聞き覺えしなり。
 父は若きより讀書を好み詩をよくしたりと聞けど、和歌の上手なりしその祖母及び今も變らず月雪花《つきゆきはな》の折にふれては詠み出づる母を見眞似て、われは假名文字の書《ふみ》多く好みて讀みしが、初めて三十一字の歌つくりならひしも十二三の頃にかありけん。いかなる歌を詠み出でしか今記憶に殘るものなきは恨みなり。

「少年世界」は恰も我が小學へ通ひ初《そ》めし頃世に出でたれば、我が頭にいちはやく彫られしは小波山人の懷しき名にほかならず。その頃の人の心はいかばかり長閑けかりけん、いかにして家庭を圓滿にすべきか、如何に
前へ 次へ
全14ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水上 滝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング