これわが殊にありがたく思へるところなり。
 わがはらからは皆|賢《かしこ》くおとなしかりしにわれ一人|父母《ちゝはゝ》の良き教にそむく事多かりしが、しかも我が父はわが罪を一度も責め給ひし事なし。われはわが無邪氣にしていたづらなりし少年の日に、疳のたかぶりては父母にさへ屡々|拳《こぶし》を振り上げて立ちむかひし事を、深き悔恨と共に忘るる事能はず。さる折にもわが父は靜かに我が亂暴を看《み》守りて居給ひしのみ、彼の世の中の父親がその子の惡行を矯めんとてうち打擲するが如き事は、予の曾て我が家に見たる事なきところなり。
 我が母の誰人に對しても優しくおもひやり深き事は、我が母を知る人の誰しもいなまぬところなる事をわれ亦信じて疑はず。
 おもひやり深き母は自らの事と他人の事とのわかちなく、世の事人の身の上の事に就きて、共に喜び共に憂ひ共になげき共に悲しみ給ひき。われは我が母の涙を見たる事あれども怒れる聲を聞きし事無し。

 幼き日我が最も嬉しかりしは、今は世になき母方の祖母なる人、又は我が母人よりさまざまの昔話、物語のたぐひつぎつぎにせがみては、飽く事なく聞く時の心なりき。桃太郎かちかち山は誰も皆
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