きにも云へる如くすべてに寛容なる我が父はわが文學を好む事にも何の干渉を加ふる事なく、我が筆執りて無益にも拙き小説書く事を知れど未だ曾て予をとがめし事無し、なんぞ予をして我が愛誦の書を燒かしむるが如き愚かしき事をし給はんや。
「ものの哀れ」の父と子の關係も亦わが空想の構へしものなる事を爲念《ねんのため》附記す。
「心づくし」には多くの事實と多くの空想とをまじへたり。これを明かに云へば前半に描きし事は大方據り處あれど後半殊に結末の數十行は單に都合よき結末を求めて我が綴りしものに過ぎず、予には彼の作中に見るが如き叔父も無く又曾て父母を憚りて我が筆を折らんとしたる事も無し。
「沈丁花」は三人の娘をかりて最も變化なき筈なる山の手の家の、なほかつ時勢の推移に連れて移り行く有樣を主として描かんとしたるが、力足らずして意にたがへるものとなり終れり。彼の作こそは悉くわが空想の産みし所にして、描きたる人々の性格餘りに變化無しとの評ありし時われ自《みづから》も亦頷きたり。
「噂」及び「夢がたり評議員會」はまことに噂と夢がたりに過ぎず、敢て説明を要せざるべし。
「友だち」及び「世の中」は近く予の試みし作なるが
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