出た作品は一つ殘らず讀み」、先頃大阪毎日及び東京日日新聞に連載された「先生」といふ小品も毎日缺かさず讀んだのださうである。けれども、
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余の期待の餘りに大き過ぎた爲であつたか、或は又余の文學に對する眼識が偏狹であるかは知らぬが、左程までに大なりし余の期待は君の作品を漁り行くに從つて次第々々に薄れて、果ては大なる失望と化し去つたのである。特に「先生」の一篇を見てからは更に其感を深くした次第である。
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と殘念がつてゐる。
以上が吉村忠雄氏又は次郎生の「水上瀧太郎君に與ふ」のはしがきで、自分及び自分の家をよく知つてゐて、水上瀧太郎を「なんの彼の子供が」と思つてゐると稱する大人は、次の如き詰問と慢罵に移つて行つた。
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瀧太郎君足下
余は勿論君とは生活状態も違ふし、文藝に就いて彼是れ議論を戰はす程の素養を持つては居らぬ。
が少し君に尋ねて見度いと思ふ事がある。それは外ではない、文藝の價値といふ事である。それも總括的に文藝其物に就てでなく新聞紙の如きあらゆる階級に――階級といつても上下卑賤を指《さす》のではない、主として文藝を
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