《はづか》し氣も無く繰返す言葉を口にして自分の教養の無い事を正直に曝《さら》け出した。目前の好景氣に浮調子となつた成金は、如何に頭腦の無い「實際家」の集團によつて國民が衰頽《デジエネレエト》するかを知らないのである。今「國事日日に多端」なる時に最も必要なのは、ハンマアばかり握つてゐて頭腦の空虚な人間が不必要だと思つて居る人間そのものである。原始時代の人間は食物丈で生きて居たかもしれないが、文明の世の中に於ては人は思想なくしては生甲斐が無いのである。
匿名好きの吉村忠雄氏又は次郎生は、水上瀧太郎の匿名を何故か威たけだかに詰問してゐる。見聞の狹い「卑賤民」は雅號は單に下の名前丈を變へるものだと考へてゐるが、東西古今を問はず、幾多の文人墨客の中には全姓名に變名を換へ用ゐた例がいくらもある。ピエル・ロテイ、ジヨオジ・サンドなどいふのも筆技名《ノン・ド・プリユム》である。江戸時代の戲作者の殆んどすべてが本名を用ゐてゐない事は、勸善懲惡主義の匿名好きの吉村忠雄氏又は次郎生も先刻承知の事であらう。近くは春之舍おぼろ、嵯峨之舍おむろ、二葉亭四迷の如き、更に新しいところで太田正雄氏の如きは木下杢太郎、
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