で學んだものがあれば、それはあの中に含まれてゐる筈である。正直のところ自分は「先生」には自信が無いが、「汽車の旅」の方は多少自分の作品としては、いいものだと信じてゐる。學校で無理に教へる學問などよりも遙に尊いものが、あの小篇の中に潛んでゐる事を思ふと、自分は海外留學の徒事でなかつた事を滿足に思ふのである。
 吉村忠雄氏又は次郎生は、さも知つたふりをして「君が專門に修めたものでも確乎《しつか》りとやつたがいゝ」などゝ云つてゐるが、自分は此の人々が考へてゐるやうな意味で專門などは何もない。自分は一科の學問をする爲に外國へ行つたのでは無い。自分は自分を最もいい人間にする爲の教養を深めようとは思つてゐたが、本來自分の性質から云つても、罐詰の學問などは修め度くなかつた。「近親者」と名告りながら、その位の事も知らないのは、愈々「近親者」でない證據かと思ふと、自分にとつては限り無き喜びである。
 吉村忠雄氏又は次郎生は「卑賤階級」の人間に特有な「今や國事は日日に多端で三文文士の御託を聞くよりも一人でも多くの實際家を必要としてゐる」と、よく實業家と稱される人間の中の、金力と頭腦の力の不平均なものが、恥
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