嫡される權利と云はう。その廢嫡される權利を獲得するには、先づ我家の嫡男なる長兄が廢嫡されてゐなければならない。
 あまりの事のをかしさに自分は抱腹して、その新聞を梶原氏及び姉夫婦に見せた。
 何處からどういふ關係で、自分に廢嫡問題なるものを結び付けたかは、その時はあまりの馬鹿々々しさに存外氣にもかけなかつた。自分はたゞその記事の、今朝甲板上の五分間に取交した問答に比べて、あまり手際のいゝ嘘であるのを憤つた。しかし故意《わざ》と機嫌よく、些末な記事の誤りのみを人々に指摘して笑つた。
 第一にをかしかつたのは「氏は黒い頭髮を中央から劃然《くつきり》と左右に分け紺セルの背廣服を着けたり」と書いてゐるが、自分は曾て頭髮を中央から分けた事は一度もない。その日も中央から分けてゐなかつた事は、該記事の前に掲げた寫眞でもわかるのであつた。「劃然と分け」といふのも事實相違で、自分は人々に自分の頭を指さし示して笑つた。日本風の油でかためて櫛の目を劃然と入れた分け方を嫌つて、自分は油無しのばさばさの髮を、故意《わざ》と女持の大きな櫛で分けてゐる。「紺セルの背廣服を着けたり」とあるが、自分はその日黒羅紗の服を
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