云つて笑つた。
樂しい食事の後で、自分は姉夫婦と話しながら夕方迄その家に寢轉んでゐた。新聞記者の事なんか全然《すつかり》忘れてゐた。
三宮驛から、夕暮汽車に乘る時に、何氣なく大阪毎日新聞の夕刊を買つた。その二面に麗々《れい/\》と自分の寫眞が出てゐて「文學か保險か」と大きな標題《みだし》の横に「三田派の青年文士水上瀧太郎氏歸る」と小標題《こみだし》を振つて、十七字詰三十八行の記事が出てゐた。その中に書いてある事は自分が想像もしなかつた意外千萬なもので、殊に自分を驚かしたのは文中所謂青年文士の談話として、自分が廢嫡されるかどうかといふ問題を自《みづから》論じてゐる事であつた。
今此處にその長々しい出たらめの新聞記事を掲げて、一々指摘してもいゝけれど、第一の問題たる廢嫡云々が、自分の如き我家の四男に生れたものにとつて、如何《どう》して起るかと反問する丈でも充分その記事の根據の無い事を證明する事が出來ると思ふ。自分には尚二人の兄が現存して居る。その中の一人は既に分家して一家の主人になつてゐるけれど、當然我家を相續すべき長兄を差措いて、どうして自分が廢嫡される資格があらう。自分はこれを廢
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