しき談笑は、此の二人の侵入者の爲に中斷されてしまつた。彼等は是非話を承り度いと、殆ど乞食の如く自分の前後に立ふさがる。
 豫て神戸横濱の埠頭には此種の人々がゐて、所謂新歸朝者を惱ますとは聞いてゐたが、それは知名の人に限られた迷惑で、自分の如きは大丈夫そんなわづらひはないと思つてゐたので、同船の客の中に南洋視察に行つた官立の大學の教授のゐる事を告げて逃げようとした。けれども彼等は承知しない。五分でも十分でもいゝから自分の話を聞き度いと言ひ張る。話は無い、話し度い事なんか何にも無いと云ふと、そんなら寫眞丈|撮《うつ》させてくれと云ひ出した。
 これは一層自分には意外な請求だつた。誰人も名さへ知らない一書生の寫眞を新聞に掲げて如何《どう》するのだらう、冗談では無いと思つて斷つた。すると傍の姉夫婦が口を出して、寫眞を撮して貰ふかはりに談話の方は許して頂いては如何だと口を入れた。自分も之に同意した。談話より時間の短い丈でも寫眞の方が樂だし、且は此の粗野なる二紳士を一刻も早く退散させ度いと願つたからである。其處で自分は甲板に出た。梶原氏が附添になつて來てくれた。
 ちやんと用意して待つてゐた各新聞
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