春の女)と淋しい靜かなおとなしい(秋の女)は君の歸朝したことを知つてゐるかどうか今は誰もその姿を見た者もない」と結んだ。
自分はカフヱ・プランタンといふ家に足を踏入れたのは前後三囘きりである。一體に日本のカフヱに集《あつま》る客の樣子が、自分のやうな性分の者には癪に障つて堪らず、殊に一頃半熟の文學者に限つてカフヱ邊りで、しだらなく醉拂ふのを得意とした時代があつたが、そんなこんなで自分はカフヱを好まない。プランタンといふ變な家もその開業當時友人に誘はれて、一緒に食事をした三囘の記憶以外に何も無い。第一(春の女)(秋の女)などといふ女は當時はゐなかつた。これも亦自分は惚れられる權利を持つてゐないので、記事の捏造なる事は疑ひも無い。
驚く可き事は、初め憎むべき東京朝日新聞の記者の捏造した一記事が、それからそれと傳へられて、眞の水上瀧太郎の他に、もう一人他の水上瀧太郎が人々の腦裡に實在性を持つて生れた事である。此の水上瀧太郎は某家の嫡男で、その父と父の業を繼ぐか繼がないかといふ問題から不和を生じ、廢嫡になるかならないかといふ瀬戸際迄持つて來られた。勿論物語の主人公だから世にも稀なる才人であ
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