た。
 此の無責任極まる記事は始め東京朝日新聞に出たのださうだ。憎む可き朝日新聞記者の一人は、我家を訪ひ、父に面會を求めて、その談話と共に、無理に借りて行つた自分の寫眞とを並べ掲げて世人の好奇心を迎へたのださうだ。
 自分はその朝日の記事を知らない。しかし元來自分が廢嫡の權利を持つてゐない限り問題となる可き事柄で無いから、我が父の談話といふのも勿論恥を知らぬ記者の捏造したものに違ひない。けれども、その記事を讀む人間の數を思ふ時、自分は平然としてゐられなかつた。
 殊に自分を怒らしたのは、その朝日新聞の下等なる記者が、老年病後の父に對して臆面も無く面會を求め、人の親の心を痛める事を構へて、之をうら問うたといふ一事である。自分の歸朝期日の豫定より早くなつたのも、父の健康が兎角勝れず、近くは他家の祝宴に招かれた席上昏倒したといふ憂ふ可き事の爲であつた。物質的に酬はれる事の極めて薄かつたにも拘らず、日本の實業家には類の無い、責任感の強い父が一生を捧げた事業から退隱した時、最も父を慰めるものは吾々子等の成長であるに違ひない。その子等の一人の、長らく膝下にゐなかつた者が、幾年ぶりで歸つて來るといふ
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