。その手の甲から腕の関節にかけて、二寸程の細長い瘢痕《きずあと》のあるのをぢつと見つめた。
「ねえ旦那、これ、忘れやしないでせう。」
「お前が気がくるつたときのことだあね。」
「まさか。」女は寂しげに笑つた。
「ねえ、貴方、堪忍して下さいな。あたし何もこんなことをする積りぢやなかつたんだわ。丁度運わるく火箸があたしの手にさはつたんですもの。ひすてりい[#「ひすてりい」に傍点]になつて、無暗に貴方に食つてかかつて居たときでしたわねえ。けれどもあたし嬉しいわ。」
 女は全く貞淑な、むしろ純潔な、処女が示す哀憐の様子を作つて、
「此|瘢《きず》は貴方の一生の瘢よ。そしてあたしの一生の紀念《かたみ》だわ。此瘢を見るたんびに、貴方はあたしを思出して下さるでせう。あたしが風来者《ふうらいもの》になつちやつて、満洲あたりをうろつくやうになつても、ねえ、さうでせう。」
 男はつくづく女の心持を思ひやつた。女の魂がとろけて自分の頭の中へ流れこんで来るかの様に強い感激が思はれた。この女とは長い月日の間に、いろいろ複雑した感情の争を闘はした。随分数多くこの女の涙も見た。けれども今まのあたりに見るやうな、さは
前へ 次へ
全43ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング