聞きとつた。それが中程になつた頃「もうよして下さい」と云はうと思つて詞が出て来ぬのであつた。「もういいでせう。」と男が最後に云つたときは訳もなくただ悲しくなつてしまつた。

 世に容れられない思想に献身する為に、亨一は憲法が与ヘたすべての自由を奪はれた。十年奮闘して何物をも贏《か》[#「贏」は底本では「羸」]ち得なかつた。国家の基礎が動揺して、今にも、革命の惨禍が渦まくかの様に思つたことは、どうやら杞憂にすぎなかつたとも考へて見なければならなかつた。不満と不平とに胸をわくわくさせて居ながら、何にも云はずに立ち廻つて行く流俗が却つて幸福であることを今更らしく思つても見なければならなかつた。今の人は譲歩と云ふことの真意義を知らない。けれども姑息《こそく》の妥協は、政治、経済の上では勿論、学問の上にも屡々行はれて、それで大きな勃発もなしに流転《るてん》して行く。譲るべき途《と》であると云ふ徹底的見地からするのと、譲るのが自己の利益だと云ふ利己的立場からするのと、意味がちがつて居ても、結果が屡同一に帰着する。そして社会の組織は割合に堅い根柢を作つて進んで行く。こんな平凡な議論にすら耳を傾けなけ
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