ろん》の腹稿《ふくかう》がある。それを書き上げるから前貸をしてくれと頼んで見た。大川は前後の話をよく聞きとつた上に次の如く云つた。
「原稿を買へと云ふんなら、買ひもしようさ。けれどその金がすず子さんの労役を救ふ目的に使用されると云ふのなら、僕は考へねばならんよ。君と僕との事だから僕は直言するが、なぜあの女を労役にやらないのか。君があの女と関係を絶つべき絶好の機会が到来してるぢやないか。あの女が君の傍にある間は、とても平和が得られはしないよ。君が男子として此上もない汚名をきせられて居るのも、もとはといへばあいつの為だ。君の半生の事業はあいつが蹂《ふ》みにじつて仕舞《しま》つた。此上君に惑乱と危険を与へるのもあの女だ。僕は君が此迷夢からさめない間は、之れまで以上の援助を与へることは出来ない。」
 亨一は千百の不満があつても、温情ある此親友の忠言に言《ことば》を反《そ》らすことは出来なかつた。
「よく考へて見よう。」と云つた丈であとは何も云はなかつた。
 東京に一泊して悄然として亨一は、伊豆の侘住居に帰つた。すず子の顔を見ることさへ苦しいのであつた。すず子は略《ほぼ》事の結果を推測して居た。
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