か》まされると云ふことなど、みんな意思の命ずる処ではないのだ。俺の生活は下らない感覚の顫動の為に攪乱《かうらん》されるやうな、そんな浮《うは》ついたものではない。
「被告は決して悪人ではありません。」よく法廷で弁護人が弁論する。
「被告は決して犯罪を犯す積りではありませんでした。只その時の被告の身の上には非常な災難が降りかかつてゐました。甲のこと。乙のこと。丙丁の関係。被告はどうすることも出来ない困迷の結果、本件犯罪事実の如き行為を敢てしたのであります。敢てしなければならない結果になつたのであります。被告は決して悪人ではありません。」
 かう云つてしまへば世の中に悪人は丸《まる》でないことになる。けれども俺は此弁明を直《ただち》に認容することは出来ない。人間に自由があると云ふことは空中の鳥の様な自由でない。社会組織によつて整理された自由である。之を制限された自由と云つてもいい。法律は人の行為の限界を定めて、動くべき場所と動くべからざる場所との区劃をつけて一本の縄を引いて居る。その縄張の一線が善悪の境界線である。そこまで来て一呼吸するかしないかが善悪の岐《わか》れる大切な処なのだ。其場合
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