。どうしたのだ、銘々がかう思つてその声のする方に目を注いだ。感情の鋭い一人の若い弁護人は思はず腰を放して立ち上つた位であつた。けれども裁判長はちつとも顔色を動さなかつた。只ぎよろりと一睨した丈けであつた。
此の泣いた被告は三村保三郎と云つて大阪の住人であつた。開廷後二日目であつた。一同が席について裁判長が書類の頁を繰り返して居るときであつた。突然彼は
「裁判長殿」かう叫んだ。その調子があまりに突拍子もないので満廷のものは、少しく可笑味を感じ乍らも、彼が何の為に裁判長を呼び掛けたかを次の問によつて明にしようと思はぬものはなかつた。それから又第一回公判以来、被告等はすべて、恭順謹慎の態を示して、誰あつて面を上げて法官席をまともに見ようとするものはないのであつた。犯すべからざる森厳の威に恐れかしこまつて居ると云ふ有様であつた。然るに今此被告は頓興に裁判長を呼びかけた。之にも亦一同一種の興を覚えた。裁判長は黙つて被告を見て、ちよいと顎を動かした。それは「何だか、云つて見ろ。」かう云ふ詞の意味を示したものであつた。
「わ、わたしは耳が遠いんですが。どうも聞えなくつて困りますから……」
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