方法によつて訊問を強ひられた。記憶の有無はもうその時の問題とはならない。
 被告のうちに拘引当時軽からぬ腸加答児に罹つて居たものがあつた。二日半も食事を取らないでじつと寝てゐたのに、令状を執行せられた。東京より以西横浜、名古屋、大阪、神戸、それから紀州、ずつと飛んで熊本に亙つた犯跡の捜査に急《せは》しかつた捜査官は、多少の病体をも斟酌することなしに取調を進めなければならなかつた。病中の衰弱を憐まないと云ふのではないが此被告の審理は夜を通して続いた。昏憊と自棄とが彼をして強情と我慢とを失はせてしまつた。その時更に彼の心を惑乱させた一事を聞いた。兄なるものも同じく拘引されたと云ふ事である。もし自分の陳述の為方如何によつては兄も恐ろしき罪人となつてしまふかも知れない。兄は主義者ではない。何も知らない人だ。それが自分の縁に維《つな》がると云ふばつかりでひよつとした憂目に遇ふと云ふことは、自分の忍び得ない処である。兄を助けるには何事も只犠牲になる。彼が法廷に立つてこの状況を語つたとき、被告席から涕泣《すすりなき》の声がした。感極つて泣き落したのであらう。神聖にして厳粛なる法廷の空気は動いた。誰だ
前へ 次へ
全45ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平出 修 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング