分の懐中に少許りの小遣銭が残つて居るのを思出しました。へい一円六十五銭程でした。どうせ死ぬなら、之で甘いものを食つてからにしよう……」
 たどたどしいものゝ云方で彼は喋続けて来た。
其話の道行が風変りなので、法官も弁護人も共同被告も、ゆるやかな心持ちになつて之を聞いて居た。[#改行天付きはママ]人が今死ぬる覚悟をしたと云ふ悲惨な物語を聞いてるとは思はれない程、それが可笑味を帯びたものであつた。しかし本人自らはどこまでも真面目である。
「それから警官に願つて、洋食を買ひました。米原であつたと思ひます。私は洋食をすつかり食べてしまひましたが、どうせ死ぬなら急《せ》くことはないと思ひました。」
 誰だかこつそり笑声をもらしたものがあつた。
「大阪ではあんなに厳しかつたが、東京へ行つたら、ちつたあ模様が違ふかもしれない。その様子によつて覚悟しても遅くはない。私はかう思ひまして死ぬのは見合せました。
 東京へ来て見ると、やつぱり厳しい。むしろ大阪よりも一層厳重なお調です。もうだめだ、とても助からない。死ぬのはこゝだ……。へい、全くです。私は……」
 彼は法官席を見上げた。そして裁判長がそれ程感動
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