のでもない。ある程度以上の感情は悉く活動を休止したのではあるまいかとさへ思はれた。無意識に歩いて無意識に停車場にはいつた。宵の口であるから構内は右往左往に人が入乱れて、目まぐるしさに、彼の頭は掻乱され、何もかも忘れてしまひたい様な気がして片隅のベンチに彼は腰を下した。眼蓋をあけて居るのが大儀[#「大儀」は底本では「太儀」]にも思はれたが、人がどんな目付をして自分を見てゐるであらうかと云ふ邪《ひが》みが先になつて、彼は四辺《あたり》に注意を配ることを怠ることが出来なかつた。見よ、大勢の旅客の視線が悉く彼一人の左右に、蒐《あつま》つて居るではないか。中には、彼の側近く寄つて来て彼の顔を覗いて行く無遠慮ものさへあるではないか。「縄がついてるからなあ。」彼はかう思つて、強ひて肩を狭ばめて小さくなつた。
 思へば奇《くす》しき成行であつた。彼は今、天人共に容《ゆる》さざるる、罪の犯人として遠く東京へ送られるのである。やがては死刑を宣告されて、絞首台の露ともなることであらう。之が彼の本意であつたか、どうであらう。彼は嘗て牢獄に行くことを一つの栄誉とも思ひ、勇士が戦場に赴くが如き勇しさを想見したこと
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