《みなり》をして居た。労働者らしい人も多かつた。牛込の富久町から日比谷にかけての道筋、裁判所の構内には沢山の警官が配置され、赤い帽子の憲兵の姿も交つてゐた。入場者は一一誰何され、携帯品《もちもの》の取調をも受けた。一挺の鉛筆削でも容赦なく留置された。法廷内は殊に厳重であつた。被告一人に一人宛の看守が附いて被告と被告との間には一人宛必ず挾《はさま》つて腰を掛けて居た。裁判官、検察官、書記が着席し、弁護人も列席して法廷は正しく構成された。
裁判長は、判決文の朗読に取掛つた。主文は跡廻しにして、理由から先づ始めた。
判決の理由は長い長いものであつた。
裁判長の音声は、雑音で、低調で平板である。
五六行読進んだときに、若い弁護人は早くも最後の断案を推想した。
「みんな死刑にする積りだな。」彼はかう思つて独り黯然とした。
今や被告人の脳中には大なる混乱が起つた。苛立しい中に生ずる倦怠。強ひて圧し殺した呼吸遣、噛みしめた唾《つば》、罪悪とは思ふことの出来ない罪悪の存在に関する疑惑。剥取られた自由に対する呪咀。圧迫に堪切れなかつた心弱さ。ヽヽを以てする陥穽の威力。不思議な成行きに駭く胸。爆せざる弾の行方。無意義な文字が示したと云ふ有意義の効果。あらゆる情緒、あらゆる想像、あらゆる予望が、代る/″\彼等の目の前に去来した。それも僅か十分か十五分の後は、一切が鉄案となることが前提されて居るだけ、それだけ彼等の神経は昂奮もし、敏感にもなつて居たのであつた。
たうとう朗読は終つた。何が説明されてあつたかと云ふことについては、誰しも深い注意を与へなかつた。人は只決論[#「決論」に「(ママ)」の注記]を聞かんことを急いで居たからである。
主文の言渡に移つた。裁判長は一段と威容を改めた。声も少し張上げられた。
嗚呼。死刑! 三人を除いた外の二十幾人は悉く死刑。結論は斯の如く無造作であつた。
主文を読終ると裁判官が椅子を離れるとの間は、数へることも出来ない短い時間であつた。逃ぐるが如しと云ふ形容詞はここに用ゐることは出来ないが、その迅速さは殆ど逃ぐるが如しとでも云ひたいのであつた。もとより慌てた様はなかつた。取乱したところも見えなかつた。判官としての威厳と落着とは十分に保たれながらも、何にしても早いものであつた。嘗て控訴院の法廷にかういふことが起つた。強盗殺人かの兇暴な被告であつたが、判官は型の如く居並んで、型の如く判決の主文を朗読した。「被告ヽヽを死刑に処す。」神妙に佇立して判決の言渡を受けて居た被告は、此主文の朗読を聞くと等しく、猛烈としていきり立つた。「この頓痴気野郎が」と云ひ様足許近くに置いてあつた痰壺を取上げて判官目がけて投げつけた。幸にそれは法官席の卓子の縁に当つて砕けた為、誰も負傷がなくて済んだ。人間は死ぬと云ふことより大きな恐怖はない。殺されると定つてしまへば、世の中に恐ろしい者とては何もない。野性、獣性を発揮して思ふ様暴れてやらうと云ふ兇暴な決心をするのは、斯の様な被告には、有勝なことである。
今二十幾人を一時に死刑を宣告した法官諸氏は、果してこんな出来事が起るかも知れないと心配して居たのであらうか。否それはさうではない。法官諸氏は判決の言渡をする迄がその任務である。任務さへ終れば、法廷には用のない体である。それで席を引いた。その外に何の理由もあるまい。
しかし若い弁護人は之に理由がつけて見たかつた。日本の裁判所が文明国の形式によつて構成されてから三十有余年、其間に死刑の宣告をした事案とて少くない数でもあらうが、一時に二十幾人を死刑に処したと云ふ事件は、此事件唯一つである。法を適用する上には、判事は飽迄も冷静でなくてはならない。人の生命は如何にも重い。之を奪ふと云ふことは、如何にも忍びない処である。只|夫《それ》国法はそれよりも重く、職務は忍ぶ可からざるものをも忍ばざるを得ざらしめる。仮令何程の愛着があり、何程未練のあつても、殺すべき罪科に該《あた》るものは、殺されなければならない。一人と云はず、十人と云はず、百人と云はず、事件に連つた以上は、数の多少は遠慮すべきことの問題とはならない。それで此事件に於ても多数の死刑囚を出した。判官は克く忍びざるを忍んだと云ふべきである。此点に於て誰人が判官の峻刻と無情とを怨むべきぞ。されどもし判官に、哀憐の情があるならば、殺さるべき運命の下に置かれた被告等が今や死に面したる痛苦に対しては、無限の同情を寄せらるべき筈である。試にその法服法帽を脱ぎ玉へ。此被告等を自由の民たる位置に置き玉へ。そして諸公と被告等とが同じ時代同じ空間に、天地の成育を受けた同じ生物なりと観《くわん》じ玉へ。誰か諸公の生命を奪はんとするものがあらう。諸公亦何の故を以て被告等の殺戮を思ふべき。法を執る間は人は即ち
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