だった。前借金は七十円以上借りてないものはほとんどないといってよかった。そしてその金もとっくの昔に一文のこらず使いはたしていた。明日からの三ケ月間のはげしい労働がまるで無償労働のような気がして、重くるしい気分に引ずりこまれるのだった。
 帳場をうしろに従えて、漁場主である旦那が出て来て座につくとみんなはしーんとした。渋好みの和服姿で、赤ら顔の、どっしりした感じの旦那を人々はまぶしそうに見あげるのであった。旦那は簡単に、遠路御苦労、といい、今年もなにぶんよろしくたのむ、と挨拶した。それから船頭、下船頭の名をあげて、役員を依頼する旨をのべた。漁夫たちはこの時から彼ら二人を親方と呼ぷことになるのだ。次に監督をかねている帳場が立上った。
「旦那にかわってちょっと注意までに言っときます。」ふところから二つに折った紙を取出し、それを見い見い、慣れ切った口調で彼は説明しはじめた。字の読めない漁夫たちが、一体何が書いてあるのか知りもしないで三文判を押した雇傭契約書の内容についての説明であった。病気又は飲酒、その他の事故で休んだときには、その休日の給金を日割として給料金のうちから引去ること。労務に服する
前へ 次へ
全53ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング