と旦那の家の間を行ったり来たりしていたが、やがてどこえか姿を消した。船頭はそのあいだじゅう、どっちへもつかれないといった顔つきでやはりうろうろしているばかりであった。

          六

 漁場主である大丸の旦那は、奥まった部屋の床の間を脊にして、畳二枚をうずめるようなひぐまの皮の敷物の上にどっかと坐っていた。血肥りにふとった真赤なまる顔の、禿げあがった額からこめかみにかけて太い癇癪筋が芋虫のようにぴくぴくと動き、火鉢にかざした手はアルコオル中毒のためとのみはいえない痙攣を見せていた。
「馬鹿野郎!」
 彼はわれるような大声で大喝した。彼の目の前には畳一枚をへだてて帳場が頭をうなだれてかしこまっているのだ。
「どじ[#「どじ」に傍点]踏みやがって間抜けめ! それで漁場の監督だなんぞと大きな面《つら》アできるか。余計なことをとんでもねえ時に感づかれやがって、奴らがさわぐなアあたりめえじゃねえか。」
 なんと口ぎたなくののしられても仕方がなかった。ふとした口のすべりから、今年は九一金を出すまいとのこっちの肚を漁夫たちに覚られてしまったということは、臍《ほぞ》を噛んでも及ばない不覚だ
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